2026年7月27日月曜日

今更ですが『The Long and Winding Road』 〜音楽に於ける原曲とアレンジの問題を考える〜


hjrivasによるPixabayからの画像


はじめに

ボクはこれまでのブログのなかで、小学生の頃から、クラシック音楽が好きなことを述べてきた。クラシック音楽はご存知のように、ポップスやロックなど他のジャンルの曲に比べ、一曲が長いことが特徴の一つになっている。この「曲が長い」という特質がクラシック音楽には災いして、現代の多くの人から敬遠される最大の要因と考えられてきた。その証拠に、クラシック音楽で一般的に親しまれている曲と言ったら、短い曲が多いハズだ。と言うか、本来は長い曲の一部を抜粋し編曲したものが、人々に愛されていると言った方が、正確かも知れない。

例えば、バッハの『G線上のアリア』は、『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』という組曲のなかの第2曲が、独立した形で演奏されることが多く、世界中の人たちに愛されている訳だ。
演奏時間は5分程度で、一般の人にも受け入れやすくなっている。

ボクの場合、曲が長いことは苦にならない。むしろ短い曲に、物足りなさを感じるくらいだ。この「曲の長さ」に関して、ボクが昔から残念に感じていることある。先ず、そこからお話しすることにしよう。


名曲『The Long and Winding Road(長く曲がりくねった道)』への不満


(Image created with Adobe Firefly)


それはビートルズの名曲『The Long and Winding Road(長く曲がりくねった道)』に関してだ。ご存知、この曲は、1970年リリースのアルバム「Let It Be」の中の10曲目である。歴史に残る名曲であることは確かだが、ボクが個人的に残念に感じていることは、次に挙げるズバリ二つだ。


その一つ目が、『The Long and Winding Road』は、その曲調から考えて、アルバムの最終曲にセッチングされるのが、一番相応しいということ。1970年リリースのアルバムでは12曲中10番目にセッティングされている。

そして、二つ目が『The Long and Winding Road』の曲の長さの問題だ。要は、曲が短すぎることだ。曲名に「Long」の単語があるからと言った単純な話ではない。
この曲は3分39秒という、ビートルズのナンバーとしては、比較的長い方である。しかし、この3分39秒の長さでは、この曲のスケール感は表現できないと、ボクは常々感じてきた。

以上二つが、『The Long and Winding Road』に対するボクの不満だ。

次に、ボクの個人的な感想だが、この曲にはドラマ性があると思う。映画のエンディングに使われたら、さぞかしその映画全体を締め括るには相応しい、エンディングになるだろうと感じている。一つ目の不満「アルバムの最終曲が相応しい」とボクが感じるのも、この点と共通した認識からである。




ヘビーなビートルズフリークからしたら、ボクの不満は「邪道の何ものでもない」と、一蹴されそうだが、決して「イチャモン」ではない。ボク自身もビートルズファンの一人として、そして建設的な意見として、敢えて述べさせて頂いた。
ここまではボクの勝手な絵空事として捉えて頂きたい。


だが、ここからは『The Long and Winding Road』の歴史的経過を踏まえて、考えて行きたいと思う。


『The Long and Winding Road』には衝撃的な経緯が

実は、この『The Long and Winding Road』には、ビートルズファンなら誰もが知っているであろう、でも普通にはあまり知られていない、かなり衝撃的な逸話がある。

まず、本筋に入る前に、その逸話について簡単に述べておこう。

『The Long and Winding Road』は本国イギリス、そして米国では、1970年5月にアルバム「「Let It Be」」の収録曲の1曲として、世に登場した。ちなみに日本では1970年9月の発売である。録音は前年の1月に行われているので、発売までに1年4ヶ月ほどの期間が空いていることになる。音楽業界では、こうした空白期間があるのは、珍しいことではないが、この時の1年4ヶ月は、それなりの複雑な経緯があったことを意味している。

この件に関しては、これ以降で触れるが、別ブログでも概要を記しているので、こちらも参照いただきたい。

音楽聴き比べ_004『The Long and Winding Road』


作曲者ポールが思い描いた『The Long and Winding Road』

この曲は、クレジット上ではレノン=マッカートニーとなっているが、実質はポール・マッカートニーの楽曲とされる。
後々のインタビューでポールは、この『The Long and Winding Road』について、次のように語っている。

「・・・自分にはどうしても手の届かないものについて歌った曲だ。決して辿りつけない扉、そして延々と続く道についてのね」

出典:Wikipedia「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

https://ja.wikipedia.org/wiki/    (2026年7月14日) 

と、上記のような、意味深なコメントを残している。 

また、「哀愁のある曲で、こういう曲が好き」とも語っている。一度聴けばポールの曲と分かるし、ポール自身も愛着のある曲として、ビートルズ解散後のソロライブでも、この曲は何度も演奏されている。そんなことからも、彼のこの曲に対する思い入れの強さを推察できる。


Dorothe WoutersによるPixabayからの画像


どちらが好みか?

ところで、ビートルズの解散は、一般には1970年4月とされているが、それより数年前、彼らの精神的支柱であったマネージャーのブライアン・エプスタインの急死以降、グループの不和が目立ち始めたことは、一般的にもかなり知られている事実だ。

名曲『The Long and Winding Road』は、そうした4人のゴタゴタの状況下で、グループ解散の最終的な決定的要因になってしまう。ただ、これは結果論的に考えられることで、ビートルズの解散理由は幾つも囁かれている訳で、真実は彼ら4人にしか分からないのだろう。或いは4人にも分からないのかも知れない。

さて、その決定的要因とされる事件とは、プロデューサーのフィル・スペクターによる、この曲への大幅な手直しだった。しかも、その手直しは突然のことで、尚且つポールに無断で行われたのだ。具体的にはバックにオーケストラと女声合唱のトラックを加えたことだった。ポールは、この曲はピアノを主としたシンプルなバラードにしたかったようで、実際にその意向に沿ったテープは出来上がっていた。そこに上記のトラックが追加された訳だ。この件に関し、ポールは非常に憤慨していたという。

私たちが一般的に聴いているのは、フィル・スペクターによるオーケストラと女声合唱が加えられたバージョンである。このアレンジについては、「派手な」「豪華な」「聞くに耐えない」「心地よい」などの賛否両論が、入り乱れたようだ。

こうした当時の評価は、ボク個人としては、当事者たちを無視した、無責任で度が過ぎるものと思っている。音楽史、絵画史を多少なりとも知ると、いつの時代の評論家の批評も、無責任で的外れなものが多いことが分かる。批評は飽くまでも他人の意見、自分自身の耳で実際に確認することが肝要だと思う。

Image by Gerd Altmann from Pixabay


この後触れるが、ポールの意向で「Let It Be...Naked」というアルバムが、2003年にリリースされていて、このアルバムでは、オーケストラ等なしのシンプルな『The Long and Winding Road』を聴くことができる。一度聴き比べてみてはどうだろう。


比較はナンセンス

聴き比べを推奨しておきながら、「比較はナンセンス」はないだろうと、お叱りを受けそうだが、両方を知らずして、何事も語れないのも道理である。

ボクのここでの意見としては、既に充分に聴き込んでしまったオーケストラ付きの『The Long and Winding Road』と、初めて聴く素朴な『The Long and Winding Road』を聴き比べるのは、フェアーでないということだ。ヒットチャート第一位などの華々しい既成事実のあるオーケストラ付きを選ぶのは、分かりきった結果だろうということだ。その意味でナンセンスと思うである。

実は、この投稿で一番言いたかったのは、この点なのだ。
例えば、例が適切かどうか分からないが、眼の前に2台の車があるとしよう。一台は一般に販売されているスポーツカー。そして、もう一台はそのスポーツカーにチューンアップや派手なカラーリングを施したレースカーだ。更にこのレースカーは、これまでに数々のレースで優勝実績のある車だ。
さて、「あなたはどちらに魅力を感じますか?」と問われたら、どう答えますか。まさに、こんな質問をされたのと同じではないかということだ。
レースカーの方が選ばれるという「結論ありき」の比較など、そもそも無意味だということ。

(Image created with Adobe Firefly)




ボクたちファンは、こうした二つの要素が存在すると、とかく優劣を求めがちになるが、世の中には白黒着かないことの方が多い訳で、それは「世の常」として、心残りはあるが認識する必要があるだろう。

2003年に発売された前述の「Let It Be... Naked」には、当初のポールの意向に近いアレンジの 『The Long and Winding Road』が収録されていて、幸運にも(?)ボクたちは聴くことができる。「幸運にも(?)」とクエッションマークを付けたのは、聴かないままでいた方が、あるいは、別テイクのものが存在すること自体を知らない方が、幸いなのかも知れないという意味を込めてだ。ちなみに、このアルバムをリリースするには、ポールの並々ならぬ熱意と努力、そして費用が掛かったことだろう。例えば、ビートルズの他メンバーやヨーコ・オノの了解を得ることだ。

この場合、ボクたちはオーケストラ付きテイクの方が、ビルボード全米1位になったという事前の知識がある上に、聴き慣れているという点で、優位だろうと考えるのが自然である。しかしながら、作曲者ポール・マッカートニーの学曲に対する熱い思いを考えると、心情的にはピアノによるシンプルな構成も推したくなる。

だが、何度も言うが、比較は無意味なのだ。どちらが楽曲的に優れているではなくて、名曲『The Long and Winding Road』には、こうした歴史的経過があったということを認識していれば充分なのだと思う。

未知と既知

ボクが今回この投稿で問いたかったのは、ビートルズのこの一件で感じた「音楽におけるアレンジの善し悪し」の問題と、人間の判断の問題だった。
往路はまだ見ぬ未知の世界。対して、復路は逆行とはいえ既知の世界。音楽の原曲は、まだ聴いたことのない未知なる曲。これに対し、アレンジ曲は編曲されたとはいえ既知の曲である。


Nenad DjokicによるPixabayからの画像


一般的に、人々は未知なる物に期待や興味を抱くことが多い。だが、ことによっては、無難な既知なる物を選択することもあるだろう。ところが、音楽など流行に限って言えば、未知なる物への憧れの方が、圧倒的に勝ることが多いのだ。
今回の『The Long and Winding Road』の場合、アレンジされ尽くした曲(テイク)の方が、1970年の時点ではファンにとっては新曲、つまり未知なる曲だった訳だ。
クラシックの歴史で考えると、パガニーニの原曲(オリジナル)があって、後々にラフマニノフが「パガニーニの主題による狂詩曲」としてアレンジした作品が、パガニーニのオリジナル以上に有名になった例が多い。そのため、ビートルズのケースでは、オリジナルとアレンジがどう時代で、尚且つアレンジの方が先にデビューしたから、事がややこしい(厄介)のだが。

だから、このテイクの『The Long and Winding Road』は、リリース後すぐに世界中の人々に愛され、大ヒットにつながった。「ビートルズの待望の新曲」という事実とレッテルが、大ヒットの一番の要因だったことは確かだろうが、曲自体の魅力があればこそだと思う。

前述した衝撃的なエピソードが世に知られて以降、ポールの素朴な原曲は、従来から親しまれているオーケストラ版の比較の対象になってしまった。しかしながら、ボクの個人的見解だが、この二つのバージョンは、曲の「生い立ち」を考慮したら、別の曲と考えるのが妥当ではないかと思えてきた。


まとめ的なこと

今回、「未知と既知に対する、人の反応が如何なるものか」という分析らしき事をしてきたが、実際のところ、筆者自身、頭が混乱してきた。この問題は、人間の「固定観念」とも密接に関係しているだろうから、ボクのような凡人には、到底解けないレベルの問題なのかも知れない。
何れにしても、ポール・マッカートニーの『The Long and Winding Road』という曲が何バージョンあろうとも、音楽史に残る名曲であることに変わりはないのだ。

最後までお読み頂きありがとうございました。
from JDA

<追記>
ポールが主張するオリジナルテイクとフィル・スペクターが加えたアレンジテイクの優劣は、好みの問題もあって、恐らく永遠の課題なのだろう。あるいは、本文でも触れたように、優劣をつけること自体が、無意味なことなのかも知れない。

音楽制作に携わる人たちにとっては、今回取り上げた、どの時点のテイクを世に出す、つまり製品化するかという判断は常に、頭を抱える難問なのだと思う。そう考えると、本文中で触れた騒動は、フィル・スペクターがポールに事前の打診をして進めていれば、避けられた問題だったのかもしれない。「タラレバ」議論は何の意味もなさないが、ビートルズファンからすれば、大変残念な出来事であった事は確かだ。

一方で、ソロ活動後のポールのライブ動向を知ると、オーケストレーションを加えた形で『The Long and Winding Road』が演奏されることが、多々あることが分かる。ライブ盤のいくつかにも、そうしたバージョンの演奏を散見できる。
こうしたことを考えると、ポールの胸中には、ある種の感情の変化があったのかも知れないと、単純なボクは考えてしまう。
1970年というあの頃は、ポールをはじめビートルズのメンバー、そしてプロデューサーのフィル・スペクターも含め、みんな若かったのだ。ちなみにポールは弱冠27歳だった。

<注記>
※本記事で使用している画像やイラストの一部は、画像生成AIツール(Adobe Firefly)を使用して作成しています。












2026年7月13日月曜日

鬱蒼とした樹々に囲まれた箱根「ポーラ美術館」へ

 7月3日(金)、家族とともに、久々の箱根一泊ドライブ旅行へ。
まだまだ梅雨明けしない時期でしたが、何とか雨に降られることなく、正月のあの駅伝コースの坂道を楽しむ事ができました。2日間とも曇り空で、時より雨粒が顔に当たるも、傘を差すほどのことはなく幸いでした。標高が高いこともあり深い霧が樹木を覆うほどで、非日常の景色を楽しめました。

さて、今回の旅行目的の一つが「ポーラ美術館」。
何度か行く機会があったのですが、何故か後回しになり訪問できなかった場所です。
今回、希望が叶い来館してみると、これまでなぜ後回しになったかが分かった気がしました。それは、「ポーラ美術館」は箱根旅行の定番コースの1号線、138号線からはチョッと外れていて、わざわざ行かなければならない立地だったからです。

今回は、そんな「ポーラ美術館」についてのお話です。


過去の記憶が甦る企業「ポーラ化粧品」

入り口付近の様子
左端にミュージアムショップがある。


「POLA」と言えば「ポーラ化粧品」、そして私にとっての「ポーラ化粧品」は、苦い経験と楽しい思い出が併存した会社でした。

それは、かなり時代を遡ることになります。忘れもしない1975年から76年にかけての就職活動の記憶。この1975年(昭和50)は第一次オイルショックの不況の影響を受けて、大手企業をはじめ、多くの企業で軒並み採用ゼロが実施された年でした。

学業を疎かにしていた私にとっては、この状況は甚だ辛いものがあったのです。自身が目指していた企業は、殆どが採用ゼロで、出願できたのはほんの僅か。その中に、件の「ポーラ化粧品」があった訳ですが、現実はそう甘いもんではありませんでした。いい訳ではありませんが、そんな新人募集を実施する企業でも、募集定員は1名乃至2名程度で、超狭き門だったからです。



そんな苦難の時代に、某金融機関に何とか採用が決まったのは、あの時代を考えるとラッキーだったと思います。
配属が決まり、新人として担当したいくつかの企業の中に、偶然のイタズラと言うか「ポーラ化粧品」が入っていたのです。戸塚にある工場でしたが、先方の女性担当者はとても親切で、良識のある方だったので、流石「ポーラ化粧品」だと感じたのを記憶しています。


ようやく来館できた「ポーラ美術館」

そんな思い出深い「ポーラ化粧品(正式には公益財団法人ポーラ美術振興財団)」が運営する「ポーラ美術館」に、今回初めて訪れた訳です。




セザンヌ、モネ、ルノアールなど、印象派の画家の作品が中心で、当館の自慢になっています。また、ピカソ、ゴッホ、マチスなどの作品も揃っていて、幅広いコレクションが特徴です。

その他にも日本美術や陶芸、ガラス工芸なども数多くて展示されていました。更に、多彩な展示内容と館内の独特の演出が際立っていて、他にはない独創性を感じました。この美術館の最大の魅力と言えるでしょう。

残念だったのは、天候と時間の関係で、「ポーラ美術館」の魅力の一つである、全長1kmほどの遊歩道を散歩できなかったことでした。晴れた日には、樹々の間からの木洩れ陽が、鮮やかだろうと想像できます。そんな訳で、遊歩道は次回までの「お預け」です。





自由で開放的な雰囲気が良い

ところで、「ポーラ美術館」の特徴として、自由な雰囲気が挙げられます。
例えば、全てではありませんが、多くの作品の撮影が許されていることは、他の美術館にはあまり見られない特徴です。私たち鑑賞者と作品を隔てる柵なども一部だけで、ほとんどの作品が間近で鑑賞できるのも喜ばしいことです。


「ポーラ美術館」は美術観賞の理想形かも

白い壁と大きなガラスが特徴の外観は、美を追求する会社だけあって、美しさとセンスの良さが際立ちました。ひとつ一つの作品は、広いスペースに余裕を持って展示されていて、好感が持てました。強いて指摘するとしたら、作品とその解説パネルが離れていたので、観賞の際、幾分支障があったかも知れません。



印象派の貴重な作品を身近に観られたのは、「ポーラ美術館」ならではと言えると思います。

一方、東京などで開催される最近の美術系の企画展は、混雑が目立ちます。そのため、一つの作品をじっくりと鑑賞できない、間近で観ることができないといった弊害があります。

人々が芸術に関心を持つことは、大いに結構だと思いますが、最近の美術館の実態は、芸術鑑賞の環境としては最悪だと思っています。余談ですが、そんな理由から、ここ最近私は、美術館に足を運ぶことが、極めて少なくなりました。

今回、この「ポーラ美術館」を訪れたのが金曜日でしたから、混雑もなくゆったりと鑑賞できましたが、これが土日、祭日だったらどうなっていたのでしょうか。

美術館側の採算のことを考えると、私が来館したこの日の入場者数では、NGなのでしょうが、この程度の来客数でこの種の「ミュージアム」が成り立てば、何よりだと思うのですが。

昨今の政府の方針をみると、文化芸術に関しては風当たりが強く、残念ながら先行きはあまり良くありません。経営内容が良くない施設は、閉館あるいは統合も検討されるということで、芸術を愛する私たちは軽視されているようです。

このように公共の施設が、将来的に期待できない以上、「ポーラ美術館」のような民間団体にエールを送りたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。
from JDA