2020年12月11日金曜日

こんなときだからこそ朝のひとときを大切に

 こんなときだからこそ朝のひとときを大切に


最近は布団から出るのを躊躇ってしまうほど、朝の冷え込みが一時より
ワンランクもツーランクもシフトアップしたようです。

この時期の早朝は寒さ以外にも、辺りはまだ薄暗く行動意欲も湧いてきませんが、

これが8時頃になると、とても清々しい朝を実感することができます。

気持ちも自然とポジティブになります。




しかしながら、こんな朝の素晴らしさに気が付いたのは、
残念なことに50代になってからのことです。

若いころ、特に大学時代などは「深夜放送族で夜更かしの朝寝坊」の典型でしたから、
今思えばもったいないことをしたな~と悔やんでいます。

人生の何割かの時間を無駄に過ごしてしまった訳です。

当時はそんな朝の雰囲気を味わうような余裕もなかったし、
只々寝たいの一点張りでした。

そう、それが青春だったのでしょう。


早朝のマジックアイランドからダイヤモンドヘッドを望む


そんなわたしを目覚めさせてくれたのが、新婚旅行から十数年ぶりに行ったハワイ旅行でした。

ハワイ滞在中の日々は、自然と早起きになります。

限られた日数ですから、できるだけハワイを味わいたいという、欲張りな気持ちがそうさせるのでしょう。


PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

ところで、ハワイで早起きしてどうするのかというと、実は散歩をするのです。

早朝散歩です。

早朝はあのワイキキでさえ人は疎らで、ウォーキングやジョギングをする
外国人(つまり米国本土からの観光客)やロコ(ハワイ現地の人たち)を
見かける程度です。




彼らのこうした行動を見ていて思うことは、彼らの意志の強さです。

身体に良いことに対しては、彼らは非常に貪欲です。

他人に左右されず、自分の意志で行動しています。

日本でも健康志向が注目され、スポーツジムに通う人や
ジョギングをする人たちが増えているようですが、
単なるブームで終わらなければいいのですが・・・


我が国の一週間程度の連休に対し、外国の休暇はロングバケーション

その差は大きいですが、それでも意識に於いては大きな違いを感じてしまいます。

要するに、彼らは一日をとても有効に過ごしているのです。


一日の中で一番空気がきれいな時に、身体によいことをする。

それに対して、日本人観光客(自分も含めて)は、まだまだベッドに潜り込んで
夢の中かもしれません。

ですから、朝のスタートが遅く日中の行動密度が濃いので、
からだに負担がかかってしまいます。




こうした悪循環はハワイ滞在中に限ったことではありません。
日本に戻っての生活も同じように過ごしてしまいます。

朝のひとときの素晴らしさ、大切さを少しでも多くの若い人たちに
分かっていただきたいと思います。

それでなくても歳を重ねると一日が短く感じられてならないですから。


今、コロナ禍でわたしたちの行動はかなりの制約を強いられています。

こんな時こそ、空気の澄んだ早朝散歩はお薦めです。

家に帰ってのコーヒーは格別の美味しさですよ。

それにしても、何時になったらハワイへ行けるのでしょうか?


2020年12月4日金曜日

わたしの中の「ギブ・ミー・チョコレート」と「ボールペンの時計」の記憶

わたしの中の「ギブ・ミー・チョコレート」と「ボールペンの時計」の記憶


<a href="https://pixabay.com/ja/users/homemaker-262892/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=721602">HomeMaker</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=image&amp;utm_content=721602">Pixabay</a>からの画像
HomeMakerによるPixabayからの画像

 

横浜にある米軍根岸住宅地区の跡地がいま注目されています。

広報、タウンニュース等によれば、市大医学部および付属病院が再整備され、

移転するという案が有力のようですが、決定にはまだまだ時間がかかりそうです。


米軍住宅の跡地といえば、神奈川県内では中区の本牧や横須賀など、

これまで長期にわたり検討がなされ、段階的に処理が行われてきた経過があります。

その最終段階なのでしょうが、戦後75年、まだまだ戦後は終わらないようです。


さて、そんなまえおきはこれぐらいにして、今回お話しするのはこの跡地問題云々といった硬い話ではなくて、わたしの記憶の中にある、遥か昔の進駐軍にまつわるエピソードです。この米軍住宅跡地の記事を目にし、当時の記憶が甦りました。


Paul Henri DegrandeによるPixabayからの画像

わたしは以前ブログに、幼いころの記憶にはかなり自信があると書いたことがあります。

勿論、すべてを記憶しているわけだはありませんが、3歳ころにあったこともいくつか覚えています。

友人や家族にそのことを話すと「親から聞いた話を覚えているだけじゃないの・・・」と一蹴されてしまいますが、そのときの光景までが生き生きと甦るのですから自分としては信じるしかありません。


PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

その一例として、進駐軍の兵隊さんから、ボールペンで時計の絵を描いてもらったという記憶があります。もちろん、紙上にではなくて腕時計をする手首にです。

当時の子供たちはみんな描いてもらったと思います。少なくともわたしの家の近所の子供たちはみんな。

それと、アメリカ製のチョコレートをもらった筈です。


わたしは米軍ハウスがあった本牧に近い横浜山手地区で生まれ、幼少期をしばらくそこで過ごしました。

いわゆる、「ハマッ子」で「ギブ・ミー・チョコレート」の世代です。

現在のマイカル本牧がある本牧地区周辺は、当時は米国人のハウスが、きれいに整備された広大な芝生の敷地内に贅沢に点在していました。

「日本にあって日本ではない」いわゆる治外法権区域です。ですから、わたしたち日本人の家とは完全に一線を画していました。

正確かどうか分かりませんが、山手地区に住む米国人は本牧地区よりも更に高レベルの生活をしていたようです。

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像


ところで、「ギブ・ミー・チョコレート」とは、文字通り米兵にチョコレートをねだることです。

その頃の日本のお菓子といえば、せんべい、飴、ビスケットぐらいが精いっぱい。

チョコレート、ガムそしてケーキの美味しさを知らない子供がたくさんいた時代でした。

そうした米国のお菓子の美味しさを知っているものにとってはチョコレートは憧れの的だったのです。

日本が高度経済成長期に入る前、日本全体がまだまだ貧しかった時代のことです。


そしてボールペンもまた、当時の一般家庭にはまだありませんでしたから、

米兵を見るとバカのひとつ覚えに「ギブ・ミー・チョコレート」のフレーズを繰り返したのです。そして、左手を突き出し右手で「ココ、ココ!」と時計の絵をねだったものでした。

時計の絵は当時の子供たちの間ではステイタスであり、自慢のひとつだったのです。


カトリック山手教会聖堂
カトリック山手教会聖堂

中庭のマリア像
中庭のマリア像

と、こんな風に当時の光景がわたしの頭の中にインプットされています。

また、この山手地区は当時は外国人が今以上にたくさん住んでいてクリスマスシーズンになると、それぞれの家が美しく飾り付けをして、色とりどりのイルミネーションが輝き、まるで別世界のように思えました。


bluartpapelariaによるPixabayからの画像


ちなみに、当時の米兵はみな笑顔で時計を描いてくれました。

でも、ボールペン本体はもらえませんでしたが・・・(笑)

現在も山手本通り沿いに建つカトリック山手教会周辺での遠い昔の記憶です。

2020年9月22日火曜日

4年越しのプルメリア、コロナ禍の今年の夏、元気に開花!

行きつけのDIYセンターで購入したのが4年前。

「今年こそは開花を!」と期待したものの、

毎年わたしたち家族の期待を裏切ってきたプルメリアくん。

そんなプルメリアくんが今夏ようやくにしてその実力を全開してくれたのです。

「満を持して」とはまさにこのことを指すのでしょう。


8月12日にピンクの花弁が開き始め、2日後にはこんな状況
2020年8月14日
8月12日にピンクのつぼみが僅かに開き始め
2日後の14日には見事こんな感じに。
この時期、成長が早いように感じます。


本来、こうしたケースでは開花後、感激のあまり直ちにブログにアップというのが常套なのでしょうが、わたしの場合チョッとへそ曲がりなところがありまして、そこはグッとこらえた次第。

何故こらえなければいけないのか?
それについては自分でもよくわかりません、というのはジョークで、開花後の経過についても触れたかったからです。

我が家のプルメリアは一本の枝から三本に枝分かれした、背丈としては50から60cmほどの画像通りの小さなもの。それでいて葉は鉢植えとはいえ、ハワイでよく見かける大きな樹々に生えているそれと変わらないほどの大きさに育ってくれています。

あまりに花が咲かないので「栄養分がすべて葉っぱにいってしまったためか」、それとも「鉢植えだからか」なんて勝手な分析を毎年していました。

あるいは、「日本の気候では限界があるのか」とも考えましたが、日本で開花させたなんて話も聞きますので、それは当てはまらないことです。


とは言え、いずれにしても我が家のプルメリアは2020年に立派に開花したのです。
それもコロナ禍でハワイに行けない今年に咲いてくれたことに大いに意義を感じ、何とも感謝、感激デス。

植物(動物や広くは自然もそうですが)の力って「スゴイ!」と改めて感じました。あまり好きな言葉ではありませんが、元気や勇気をもらったような気分です。
わたしたちは普段はあまり気にしていないのですが、人間関係やトラブルなど困難に直面したとき、植物や動物のチョッとした光景に救われることってあります。自然がこんなに美しかったのかと気付かされることもあります。

今回はそんな植物の素晴らしい成長の様子をお話ししましょう。


開花後の推移

2020年6月18日〜9月20日までの記録

全てはここから始まった。
新芽の感じが例年と異なる。
気付いたのは6月18日
コレってまさかの・・・❗️❓


8月4日
明らかに枝とは異なる茎がグッと
伸びてきた。


8月12日
濃いピンク色のつぼみが
静かに開き始めた。


8月13日
待望の開花第一号



8月14日
我が家のプルメリア、全体像はこんな感じ。



8月14日
これ以降は、まるでマジシャンの指の間から
次々と飛び出す花々のように咲き始めた。



8月17日
プルメリアの花弁は一見すると肉厚のように思えますが、
実際は極々薄い花弁だ。
エッジの部分が反り返っているので分厚く見えるのかも。


8月17日
アングルを変えての一枚


8月20日


8月20日
開花した花の下には開花予備軍が
まだまだイッパイ控えている。


8月27日
この時がピークだったかも。


9月8日


9月13日


9月13日(2)


9月20日
いっときの勢いはなくなってきた様子。
でも、まだつぼみは健在。



9月20日(2)
この頃になると花の大きさにバラツキが出てきた。
更に気が付いたことは、当初のピンク色は
だんだんと薄れ、黄色系が目立ってきたこと。


<編集後記>

9月20日以降も平均3〜4個が常に咲いている状況です。
一つの花は2〜3日咲き続けますが、その後は儚く地面や葉の上に落ちています。
ハワイでよく見かけるように・・・

チョッと寂しいけど、これが自然の営み。
コロナ禍でハワイ旅行できないけど、2020年はプルメリアに小さなハワイをいただいた気分です。
この調子だと6月から約4ヶ月間、充分に楽しませていただけそうです。

実は、落ちてしまった花弁はこうして食卓で、もうチョッと頑張ってもらっています。



2020.09.22 from JDA