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はじめに
ボクはこれまでのブログのなかで、小学生の頃から、クラシック音楽が好きなことを述べてきた。クラシック音楽はご存知のように、ポップスやロックなど他のジャンルの曲に比べ、一曲が長いことが特徴の一つになっている。この「曲が長い」という特質がクラシック音楽には災いして、現代の多くの人から敬遠される最大の要因と考えられてきた。その証拠に、クラシック音楽で一般的に親しまれている曲と言ったら、短い曲が多いハズだ。と言うか、本来は長い曲の一部を抜粋し編曲したものが、人々に愛されていると言った方が、正確かも知れない。
例えば、バッハの『G線上のアリア』は、『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』という組曲のなかの第2曲が、独立した形で演奏されることが多く、世界中の人たちに愛されている訳だ。
演奏時間は5分程度で、一般の人にも受け入れやすくなっている。
ボクの場合、曲が長いことは苦にならない。むしろ短い曲に、物足りなさを感じるくらいだ。この「曲の長さ」に関して、ボクが昔から残念に感じていることある。先ず、そこからお話しすることにしよう。
名曲『The Long and Winding Road(長く曲がりくねった道)』への不満
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その一つ目が、『The Long and Winding Road』は、その曲調から考えて、アルバムの最終曲にセッチングされるのが、一番相応しいということ。1970年リリースのアルバムでは12曲中10番目にセッティングされている。
そして、二つ目が『The Long and Winding Road』の曲の長さの問題だ。要は、曲が短すぎることだ。曲名に「Long」の単語があるからと言った単純な話ではない。
この曲は3分39秒という、ビートルズのナンバーとしては、比較的長い方である。しかし、この3分39秒の長さでは、この曲のスケール感は表現できないと、ボクは常々感じてきた。
以上二つが、『The Long and Winding Road』に対するボクの不満だ。
次に、ボクの個人的な感想だが、この曲にはドラマ性があると思う。映画のエンディングに使われたら、さぞかしその映画全体を締め括るには相応しい、エンディングになるだろうと感じている。一つ目の不満「アルバムの最終曲が相応しい」とボクが感じるのも、この点と共通した認識からである。
ヘビーなビートルズフリークからしたら、ボクの不満は「邪道の何ものでもない」と、一蹴されそうだが、決して「イチャモン」ではない。ボク自身もビートルズファンの一人として、そして建設的な意見として、敢えて述べさせて頂いた。
ここまではボクの勝手な絵空事として捉えて頂きたい。
だが、ここからは『The Long and Winding Road』の歴史的経過を踏まえて、考えて行きたいと思う。
『The Long and Winding Road』には衝撃的な経緯が
実は、この『The Long and Winding Road』には、ビートルズファンなら誰もが知っているであろう、でも普通にはあまり知られていない、かなり衝撃的な逸話がある。
まず、本筋に入る前に、その逸話について簡単に述べておこう。
『The Long and Winding Road』は本国イギリス、そして米国では、1970年5月にアルバム「「Let It Be」」の収録曲の1曲として、世に登場した。ちなみに日本では1970年9月の発売である。録音は前年の1月に行われているので、発売までに1年4ヶ月ほどの期間が空いていることになる。音楽業界では、こうした空白期間があるのは、珍しいことではないが、この時の1年4ヶ月は、それなりの複雑な経緯があったことを意味している。
この件に関しては、これ以降で触れるが、別ブログでも概要を記しているので、こちらも参照いただきたい。
音楽聴き比べ_004『The Long and Winding Road』
作曲者ポールが思い描いた『The Long and Winding Road』
後々のインタビューでポールは、この『The Long and Winding Road』について、次のように語っている。
「・・・自分にはどうしても手の届かないものについて歌った曲だ。決して辿りつけない扉、そして延々と続く道についてのね」
出典:Wikipedia「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ (2026年7月14日)
と、上記のような、意味深なコメントを残している。
また、「哀愁のある曲で、こういう曲が好き」とも語っている。一度聴けばポールの曲と分かるし、ポール自身も愛着のある曲として、ビートルズ解散後のソロライブでも、この曲は何度も演奏されている。そんなことからも、彼のこの曲に対する思い入れの強さを推察できる。
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どちらが好みか?
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比較はナンセンス
実は、この投稿で一番言いたかったのは、この点なのだ。
例えば、例が適切かどうか分からないが、眼の前に2台の車があるとしよう。一台は一般に販売されているスポーツカー。そして、もう一台はそのスポーツカーにチューンアップや派手なカラーリングを施したレースカーだ。更にこのレースカーは、これまでに数々のレースで優勝実績のある車だ。
さて、「あなたはどちらに魅力を感じますか?」と問われたら、どう答えますか。まさに、こんな質問をされたのと同じではないかということだ。
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| (Image created with Adobe Firefly) |
だが、何度も言うが、比較は無意味なのだ。どちらが楽曲的に優れているではなくて、名曲『The Long and Winding Road』には、こうした歴史的経過があったということを認識していれば充分なのだと思う。
未知と既知
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今回の『The Long and Winding Road』の場合、アレンジされ尽くした曲(テイク)の方が、1970年の時点ではファンにとっては新曲、つまり未知なる曲だった訳だ。
まとめ的なこと
何れにしても、ポール・マッカートニーの『The Long and Winding Road』という曲が何バージョンあろうとも、音楽史に残る名曲であることに変わりはないのだ。
from JDA
ポールが主張するオリジナルテイクとフィル・スペクターが加えたアレンジテイクの優劣は、好みの問題もあって、恐らく永遠の課題なのだろう。あるいは、本文でも触れたように、優劣をつけること自体が、無意味なことなのかも知れない。
一方で、ソロ活動後のポールのライブ動向を知ると、オーケストレーションを加えた形で『The Long and Winding Road』が演奏されることが、多々あることが分かる。ライブ盤のいくつかにも、そうしたバージョンの演奏を散見できる。
1970年というあの頃は、ポールをはじめビートルズのメンバー、そしてプロデューサーのフィル・スペクターも含め、みんな若かったのだ。ちなみにポールは弱冠27歳だった。
※本記事で使用している画像やイラストの一部は、画像生成AIツール(Adobe Firefly)を使用して作成しています。






