2024年3月31日日曜日

春到来と思いきや(いまどきの天候は・・・)


jungsook baekによるPixabayからの画像




やっとのことでカメラにおさめた<メジロ>

数日前、我が家の狭小な庭にメジロが飛んできた。

そして、別の日に我が家に隣接する雑木林から聞こえてきたのが、ウグイスの鳴き声だった。

こちらは鳴き声だけで姿は見えない。

でも、なんとも嬉しい訪問ではないか。

長い冬がようやく後方に退き、待ちに待った春がようやく前面に出て来た気配を感じた。



今年2024年は、元日早々にあのような悲しい出来事(能登半島地震)が起こり、年初めから日本中が出鼻を挫かれたような状況だった。

それ故に、明るく暖かな春の到来は例年にもまして、誰もが待ち望んでいたはずだ。


そんなもろもろを考えつつこの記事を書いていると、テレビの天気予報によれば、ここ数日また寒さが戻ってくるとの報道。

なんとも落ち着きのない天候ではないか。

人間社会も慌ただしいが、自然界はそれにも増して忙しいようだ。

そのため気象庁、マスコミの桜開花予想は、二転三転したようである。

わたしは桜にはあまり関心がないので、一向に構わないのだが・・・


かねてから、我が国には三寒四温という洒落た言い回しがあるけれど、

昨今の気まぐれ天気は、果たして三寒四温と呼べるのだろうか。

わたしはそんな優雅なものではないような気がする。

地球温暖化による異常気象は、こんな些細なことが兆しとなって、

大きな現象出来事へとつながっていくのかも知れないと不安になる。


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ところで、仕事をリタイアするまでは、わたしは春に関してはあまり良い印象がない。

春は新たな出発のとき、新たな出会いのときなど胸はずむ季節というのが一般的で、とりわけ日本では年度のはじめということもあって、明るいイメージとして捉えられている。

しかし個人的にはあまり好きな季節ではない。

過去を振り返ってみても、わたしには苦い思い出、辛い思い出ばかりだ。

それでも、世間一般では四季の中で一番人気と言えば、やはり春なのだろう。



サラリーマンにとっては、人事異動や転勤など人生における岐路を経験するのもこの季節だ。

再スタートのときであり、ある人にとってはチャンスと捉えることもできるのだろうが、残念ながら現実は厳しい。

予期せぬ人事、想定外の遠方への転勤など、試練となることが多かったように思う。

通いなれた仕事場、打ち解けた同僚や顧客などとの別れ。

春はあらゆる面で「ふりだし」に戻されるのだから。



新たなスタートのとき
Jan VašekによるPixabayからの画像



この時期、人事異動、転勤を言い渡された多くのサラリーマンは、悲哀や虚しさを味わうかも知れない。人事異動や転勤でなくても担当替えや配置換えでも同様である。

それはアルベール・カミュの随想「シーシュポスの神話」(*1)の神髄(不条理の哲学)にも似た体感である。

「シーシュポスの神話」自体はわずか10ページほどの物語だが、インパクトは強烈だったのを覚えている。

勿論、わたしもその不条理を何度か体感したひとりだ。

不条理が度重なると、考え方はやがてマイナス思考へと傾く。

孤独を感じるのもこの季節だ。

その昔、石川達三の小説「青春の蹉跌」が話題になったことがあるが、いつの時代も同じなのかも知れない。

春の厳しい一面である。


ところで、春はまた風の強い季節でもある。

これもわたしが春を嫌う理由の一つだ。


実は、わたしは幼少の頃から風が大嫌いだった。

当時、病弱だったわたしは、母親に背負われての病院通いが多かったが、

あるとき向かい風に息ができなくなったことがあった。

その後、同じ経験を何度かした。

それがトラウマとなり、今だに風に対しては人一倍神経質になってしまう。

風が吹けば埃が舞うし、春の今頃は花粉も加わって最悪である。


テレビでは連日、桜の開花がどうのこうのと、天気予報の大半を割いて桜の話題ばかりだが、「もっと報道すべきことないの?」とほどほどウンザリでため息ばかりだ。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と、いまではほとんど聞かなくなった諺があるけれど、いまのわたしの心境は「春憎けりゃ桜まで憎い」と言ったところか。



かつて、車で外回りの仕事をしていたころ、この時期決まってカーラジオから流れてくるのがキャンディーズの「春一番」だった。

そんなとき、わたしがする事はただひとつ、カーラジオの局を変えることだった。

この曲はいわゆる春の定番ソングだが、これにはわたしが忌み嫌う「春」も「風」も入っているから拒否反応は当然。

わたしは当時、そんな安易なラジオ番組にうんざりしていたことを、この投稿を書きつつ思い出し苦笑いである。

果たしてこの曲は今もなお流れているのだろうか。


そんな訳で、桜よりも、キャンディーズの「春一番」よりも、

メジロやウグイスの鳴き声の方がわたしにとっては歓迎すべき春なのだ。



鳴き声はすれど、すがたを捉える事はできない<ウグイス>
こちらはネットより拝借
No-longer-hereによるPixabayからの画像



とは言え、春は出会いの季節、希望の春でもある。

これまで述べてきたことは”いちオッサン”のたわい無い愚痴と偏見と軽く聞き流していただきたい。

すべては前向きに行こう。

前述のアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」の主眼は、わたしの勝手な解釈だが「不条理から目を逸らすな、立ち向かえ」と読み取った。

壁を逃避したり、押し潰されてはいけないのだ。

何はともあれ、この春新たな門出を迎える学生、新入社員のみなさんには、輝かしい未来と素晴らしい出会いがありますように!



気が付けば今日もまた、ウグイスが「ホーホケキョ」とクリアな音色で鳴いている。

シーズンはじめはおぼつかなかった”さえずり”も、最近ではすっかり板につき安定した音程である。

何とも逞しいではないか。


最後までお読みいただきありがとうございました。

from JDA