2026年5月30日土曜日

自分さえ良ければ 〜あるシーンから思えたこと〜

<光景その1>

先日、久々に外食をした。その店には何度か入ったことがあったので、勝手は分かっていた。メインメニューを一つ選ぶとライス、スープ、ドリンクがお代わり自由で、お手ごろ価格で食べることができる。そのため、昼時は近くのサラリーマンや買い物客で、そこそこ混雑するお店だ。

その日も、ランチメニューのハンバーグを注文した。ハンバーグが出来上がるまでに多少の時間があるので、その間にセルフサービスのライス、スープ、ドリンクを所定の場所に取りにゆく。

所定の場所は多少混雑していた。先ず、ライスを取りにその列に並んだ。自分の前には若い女性が2人いた。1人が終わり、次に私の前の女性がライスを皿によそり終わった。ところがその女性はその場を離れようとしない。私が後ろに並んでいることは承知のハズだ。なぜなら、私が後ろに並んだ時点でチラッと私の方を見たからだ。




どうしてその場所を離れないのか、一瞬疑問に思ったが、すぐに察しがついた。隣のスープの列に移動することなくそのまま並びたかったからだ。それでは、それまでの列は変形してしまことになる。当然に、私はライスの場所まで辿り着けない。
その時点で一つの流れがストップしたことに、その女は気がついていないのか。

気が付いていないのなら、鈍感としか言いようがない。気が付いていて場所を譲らないのであれば、あまりに身勝手の一言だ。

私が無理にその場所に進むと、「何ッ、この人!」と言わんばかりの顔で睨んできた。

一体全体、いまの世の中どうなっているんだろうか?


<光景その2>

先日、友人と会った帰りのことだった。金曜日の午後3時ごろ横浜市営地下鉄の関内駅から下り電車に乗る時のことだった。

5分ほど待って湘南台行きの電車がホームに。ウィークデイの午後3時なので、それほど混雑はしていない。私はドア入り口ならび列の先頭で待っていた。私の後ろには二人ほど並んでいただろうか。

電車がゴーッという音と共に姿を現し、ホーム定位置に止まった。その出来事はドアが開いた瞬間に起こった。降りる客を差し置いて、二人の小学生低学年と見える子供が、私を含めた数人を掻き分け、降りる客をも掻き分けて空席に突進していった。

こんな時、日本人は寛大というか穏やで、誰一人子供に怒鳴りつけるような反応はなかった。
私が知る数少ない外国であるアメリカ合衆国ハワイだったら、乗降客の誰かしらがそれこそ、その子供達を注意あるいは叱りつけていたハズだ。かつてハワイ滞在時、上記と似た光景を何度か見たことがあったから。

私を含め、日本人は「事なかれ主義」、消極的、良く言えば温和なのかも知れないが、こんな場面に出会したら、私たちはどうすべきなのか。少なくとも、私が幼少の頃の「昭和のおじさん」たちの中には、子供を叱りつけるおじさんがいた。




この<光景その2>の話には実は後編がある。

前段の出来事は一瞬のことだったが、その後に座席を確保した当該の子ども二人を追って、祖母らしき高齢の女性が、もう一つ確保された座席まで来てゆっくりと座った。

そして、おもむろに孫たちに向かって発せられたその女性の一言に、私は愕然とした。
「座れてよかったネ」だった。

ちなみに、3人が座った席は、横浜市営地下鉄がルールとして決めている、高齢者や妊婦、そしてハンディキャップの人たちのために設けられた優先席「オレンジの吊り革」エリアの席だった。
更には、その優先席の窓の上部には、横浜市内の小学生が描いた、「思いやりを持って」とか「お年寄りには席を譲ろう」といった標語付きの力作画が貼ってあった。
この力作を描いたのも小学生、人を押しのけて強引に席をゲットしたのも小学生、なんとも複雑な心境である。

百歩譲って、この子ども二人が、自分の「おばあちゃん」のために必死に席を確保したとしたら、「おばあちゃん」想いの良い子なのかも知れない。ただ、それで良いのだろうか。

心なしか、効果が無かったことを、この力作画たちは残念がっているように思えた。


最後までお読みいただきありがとうございます。
from JDA