2026年8月28日金曜日

セミと季節感、そして奇跡の夏

この投稿を書いているのが8月下旬。 

今夏も、連日の猛暑に心身ともに為す術なく、クーラーを前に防戦一方の毎日です。
更には、「酷暑日」なる新たな気象用語まで出現。まさに熱中症に怯える日々は続きます。


SimoneVomFeldによるPixabayからの画像


ところで、私が住んでいる横浜では、今年は7月15日にニイニイゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミが同時に鳴き出しました。かつては、夏が来ると先ずはじめに鳴き出すのが、ニイニイゼミでしたが、そんな秩序はとっくの昔に破られた時代。蝉の鳴く順番も野放図で、何から何まで掟破りの「何でもあり」の時代ですから、現代は。


例年なら、8月下旬から9月初旬に鳴くはずのツクツクボウシが、8月2日にはもう鳴き出しています(そのあとはパッタリ鳴かず、中旬になってまた泣き出しました)。

それで思い出したのが、ヒグラシのことです。去年、一昨年は私が住む地域では残念ながら、ヒグラシの鳴き声を聞くことはできませんでした。あの透き通るような鳴き声を聞くと、幼少の頃のほろ苦い思い出が私の脳裏に甦ってきます。

西の空がオレンジ色に染まる頃、雑木林のどこからか聞こえてくる、「カナカナカナ〜、カナカナカナ〜」の何とも物悲しい鳴き声。それは夕暮れの闇をどこまでも響き渡るような神秘的な情景でした。幼い子供にとっては、少しばかり不気味ささえ感じられたほどです。

小学校の夏休み、父親と二人でお盆の頃に、茨城の田舎へ6年間欠かさず出掛けた時期がありました。ヒグラシの記憶はその時のものです。日中は虫捕りなどに夢中で、横浜のことなど忘れていたのに、夕暮れになるとヒグラシの鳴き声は、妙に悲しい響きに聞こえたものです。横浜で待つ母親恋しさに、涙ぐむこともあったと記憶しています。

中学生になり私の役割は弟に引き継がれ、私自身は付いて行くことはなかったのですが、父にしてみれば田舎の伯父さんは里親なので、その後も義理堅く毎年訪ねていました。


LeopicturesによるPixabayからの画像


そんな訳で、セミ、なかでもヒグラシに対しては思い入れはかなり強いのです。今年もこの投稿を書きつつ、「今年こそヒグラシ鳴いてくれ!」と期待していますが、8月25日現在鳴き声は聞いていません。(この時期になったら、もう鳴くことはありません)


私が幼少の頃は、夏の季節は先ず6月中旬頃から梅雨入りし、7月上旬から中旬にかけて雷を伴った夕立(現在のようなゲリラ豪雨のように長時間ではない)がザーッとあって、いよいよ梅雨明けといったひとつのパターンがあったものです。そんなときは虹を見ることもできました。台風も大暴れした後は、「台風一過」と言って、気持ちの良い青空が広がり、草木は水滴を浴びて生き生きと輝いて、私たちの気持ちも晴れ渡ったものでした。

ところが、今の時代は何かが狂っているようです、自然も人間社会も。
「自然においては、地球温暖化が原因だ」と簡単に断定することはできませんが、否定することも出来ないはずです。

余談ですが、どこかの国のトップのように、温暖化を真っ向から否定る連中も、世の中には一定の割合で存在することも事実です。そして皮肉なことには、温暖化の禍はその元凶と思しき人たちではなく、文明の恩恵をさほど受けていない人たちの下に降り掛かっているのです。
ハワイに台風が接近したり、日本ではこのところ毎夏、線状降水帯が各地で発生し、洪水などで死傷者も出ています。そして、この投稿を書いている時期と重なりますが、ネパールで鉄砲水が発生し、多くの行方不明者が出ているとの報道も入って来ています。こうした現象は、深く考えるまでもなく、私たちの地球が悲鳴を上げている証拠なのです。


Gerd AltmannによるPixabayからの画像


話題をもとに戻します。

そう!毎年繰り返されてきた私たちの季節感は、淋しいことですがもはや消滅したと言えるのかも知れません。日本は春・夏・秋・冬の四季がハッキリしていて、世界中でも珍しい国と、確か小学校の頃教わった記憶があります。近年は春秋が短くて「らしさ」を感じなくなりつつあります。

やがて、「三季、二季になってしまうのでは・・・」と友人と冗談を交わすも、このところの気候変動を目の当たりにすると、現実味を帯びてきて不安になってきます。


そんな暗いことばかりが次々と世の中で起こり、心配症の私はストレスで押し潰されそうな今日このごろです。

そんな矢先「一筋の明るい兆しならぬ、3つの救いの光景」が眼前に現れたのでした。この表現は自分でもチョッと大袈裟で「クサイ表現」と思いましたが、敢えて使わせていただきました。何しろ、自然の素晴らしさ、逞しさは感動ものだったからです。


その3つの「救いの光景」とは、これです。

第一弾

この夏、3年ぶりに咲いてくれたプルメリア。①の状態になるまでに6ヶ月ほど掛かっていますが、その後の成長の速さは目を見張るものがありました。


① 2026年7月18日現在


② 2026年7月28日現在



③ 2026年8月4日現在

現在、この投稿を書いている時点でも、数は少なくなりましたが、まだ咲き誇っています。


第二弾

2026年8月8日の夜、我が家の裏庭で日除けに張ってあったビニールテープに、驚くべき光景が展開されていたのです。体の色からミンミンゼミと思える蝉の幼虫が、脱皮しているシーンなのです。
発見した時刻からわずか15分程度で、完全に殻から脱出しました。
その後はジッとしたまま、羽が完全になるまでこの状態③が続いたと思われます。
明朝7時頃に確認したところ、すでに姿はなく抜け殻だけが地面に落ちていました。

これまでも、セミの抜け殻は何度も見たことはありましたが、こんな脱皮の瞬間に出会えたのははじめてです。自然の力と生命の逞しさを眼の前で見れたことは貴重な体験です。


① 発見時刻は20:19頃

② 20:24頃

③ 20:34頃


第三弾

またまた、セミの話題です。
8月22日(土)の夕方にウチの奥さんが庭で発見。
呼ばれてその場に行ってみると、ななっ、何と!クマゼミではありませんか。」

写真は我が家のゴールドクレストの樹に止まっていますが、実は奥さんが発見したときは、地面にひっくり返っていたとのこと。手で触れないので私が呼ばれ、樹に止まらせてあげた次第です。

地面に横たわったのをソっと拾い上げたところ、一瞬鳴き声を発したのでオスのようです。

ただ、本来クマゼミは警戒心が他のセミに比べ断然強いので、このような人の気配があるところには来ません。恐らく、何らかのアクシデントがあったのでしょう。だいぶ体力を消耗して弱っている様子が見てとれました。

セミの一生は、土の中で3〜5年、地上に出て2週間から1ヶ月程度と昔から言われています。私が幼少の頃は、セミは「儚さの象徴」と思われていました。第二弾の脱皮のシーンもそうですが、自身の眼の前で展開されているクマゼミの姿を見ていると、なんとも切ない思いと命の尊さを感じずに入られませんでした。


この日は夜になって、チョッと強めの雨が降り出し、クマゼミのことが心配でしたが、翌朝その場に行ってみたところ、その姿を確認することはできませんでした。果たして元気を取り戻し、元気に飛び立ってくれたのでしょうか。(そう望みたいです)


8月22日16:50



クマゼミはかつては関西が生息域で、関東、少なくとも私が住む横浜では生息していませんでした。それが温暖化などで北上し、最近では関東周辺でも活動領域を拡げているようです。

小学生の頃、私は虫採り少年でしたから、あらゆる種類の昆虫を捕まえた経験があります。夏休みの課題報告(宿題)のひとつに、昆虫採取の標本を出したこともありました。そんな私でもクマゼミだけは一度も採ったことがありませんでした。昆虫図鑑でその姿を見るも、実際の姿をみることはできなかったのです。以前、三重県の知人宅へ行ったときも、鳴き声はすれど近づくと素早く飛び立ってしまうのが、クマゼミだったのです。体はセミの中では一番大きいのですが、臆病で警戒心が強いことも特徴のひとつなのです。

今回、そんなクマゼミに触ることができたことは、クマゼミにとっては迷惑だったでしょうが、永遠の憧れで終わってしまうだろうと思っていましたから、私としては非常にラッキーでした。
10年ほど前に、カブトムシが2日連続で我家のベランダに飛んできたことがありました。
今回は、ひと夏にセミの貴重なシーンを2つも見られたのですから、それ以来のまさに奇跡の夏と言えるでしょう。

最後までお読みいただきありがとうございます。
from JDA






2026年8月23日日曜日

体験記:AIを使ってブログのレンタルサーバーを変更してみた

 WordPressを他社のレンタルサーバーへ移行の記録

― AIの助言を受けながら進めたサーバー移行 ―


Bethany DrouinによるPixabayからの画像



長年利用してきたレンタルサーバー(AAAサーバーという)から、新しいレンタルサーバー(XXXサーバーという)へWordPressサイトを移行しました。(当該ブログではありません)


従来の「AAAサーバー」 ⇒ 新たな「XXXサーバー」
*独自ドメインは別のドメイン会社を利用で、今回こちらは引続き利用。

移行に至った理由は、AAAサーバー側に技術的な欠陥があった訳ではありません。トラブルがあった際の「Q&A」などのサポート系がXXXサーバーの方が充実していたことと、SEO関係のアドバイスが積極的に感じられたからです。


もう一つは、詳しい内容は本文の中でふれますが、「公開フォルダ」に関係することです。私がAAAサーバーでサイトをはじめた2015年から、初期設定ミスがあったことです。この設定ミスはサイトの表示では決定的なミスではなかったようですが、今回の移行作業を経験し特殊な設定だったことが分かりました。


ですから、こうした設定ミスが、サイトの表示関係に微妙に影響していたのかも知れません。 若干反応が悪かったり、管理画面等で一瞬ですが表示画面が可怪しかったことも、その影響だったのかも知れません。そうした長年のウヤムヤもあり、この際レンタルサーバー業者を替えて心機一転を考えた訳です。



今回移行したのは、独自ドメインで運営しているメインサイトと、そのサブドメインで運営しているサイトの2サイトです。


当初は、WordPressのファイルとデータベースを新しいサーバーへ移せば、それほど難しい作業ではないだろうと、かなり安易に考えていました。

ところが実際に始めてみると、ファイルの配置、データベース、wp-config.php、DNS、SSLなど、いくつもの要素が関係しており、思った以上に複雑な作業でした。


今回の移行で特に大きな助けになったのが、近ごろ私たちの生活にすっかり浸透してきた生成AI「ChatGPT」によるアドバイスでした。

それでは、前置きはこれくらいにして、手順に沿ってお話していきましょう。


Gerd AltmannによるPixabayからの画像


1.最初にバックアップを取る


まず、サーバー移行で最も重要なのは、何よりもバックアップです。


WordPressは大きく分けると、WordPress本体、テーマ、プラグイン、画像などの「ファイル」と、投稿、固定ページ、設定などを保存している「データベース」から構成されています。


そのため、ファイルだけではなく、データベースも必ずバックアップする必要があります。

今回も、移行前にファイルとデータベースの両方をバックアップし、さらにPCやUSBメモリにも保存しました。

これは、移行作業で問題が発生した場合に、元の環境へ戻すための重要な保険になります。

バックアップの方法の他、バックアップファイルのPC本体やUSBメモリーなどに保存する際の、保存フォルダの命名のアドバイスは、些細なことですが移行作業を混乱なく進める上で非常に役立ちました。 ファイル名というのはその時は分かっていとも、月日が経つと名前によっては何のためのファイルか判別がつかなくなるからです。


2.WordPressのファイルを移行する


まず旧サーバーからWordPressのファイルを新サーバーへ移しました。


ここで最初の難関になったのが、ファイルの階層構造でした。


ZIPファイルを展開した際、WordPressのファイルが一段深いフォルダに入ってしまい、公開フォルダに正しく配置できていない状態になりました。



この現象は、私自身のZIPファイルの展開のやり方に問題があったのかも知れませんが、ZIPファイルを解凍するとZIPファイル名のフォルダが、(図1)のように「public_html」の直下に作成されてしまいます。

本来は(図2)のようにpublic_html」の直下にZIPファイルの中身が、展開されなければいけないのですが、(図1)のように一段余計なフォルダが挟まる形(二重フォルダ構造)になってしまうのです。


(図1)

public_html  ← 公開フォルダ

└─ZIPファイル名のフォルダ  ← 余計なフォルダ

    ├─ wp-admin   

    ├─ wp-content  

    ├─ wp-includes 

    ├─ wp-config.php

    ├─ index.php

    └─ その他のWordPressファイル



この不具合は、AIに現在のフォルダ構造を説明し、どのファイルをどこへ配置すべきか確認しながら、一つずつ修正しました。


最終的には、


(図2)

public_html/

├─ wp-admin/

├─ wp-content/

├─ wp-includes/

├─ wp-config.php

├─ index.php

└─ その他のWordPressファイル


という正しい構造にしました。

ファイル移行では、ファイルの有無だけでなく「どの階層にあるか」が非常に重要だと実感しました。


実は、このフォルダ構造が冒頭で触れたAAAサーバーのときは、契約当初から二階層フォルダ構成で設定されていたのです。WordPressを使ったWebサイトでは、フォルダ階層は上の(図2)のようになるのがセオリーです。ところが、その当時はWordPressを使い始めたばかりで、自分自身が勝手に設定したとは考えられず、恐らく何かの参考資料を基に、二階層フォルダ設定にしたのでしょう。今となっては知る由もないのですが。


3.エラーメッセージをAIに解読してもらう


今回の移行作業で、AIの恩恵(存在感)を強く感じたのが、エラーメッセージの解読に於いてです。


作業途中には、

  • wp-includes/version.php が見つからない
  • WP_Theme クラスが見つからない
  • 旧サーバーのパスを参照している
  • データベースへのアクセスが拒否される

など、専門知識がなければ原因を判断するのが難しいエラーが、次々と発生しました。



例えば、WordPressの


「Class "WP_Theme" not found」


というエラーメッセージが出たときも、単純にテーマの問題だと思ってしまいそうですが、実際にはWordPress本体のファイルが、正常に揃っているかを確認する必要がありました。


また、旧サーバーのパスを参照しているエラーについても、単純にWordPress全体が壊れているのではなく、特定のプラグインが旧サーバーの情報を参照していることを確認し、原因となっていたプラグインを一時的に停止することで解決しました。



Gerd AltmannによるPixabayからの画像



エラーメッセージをそのままAIに伝え、その意味と次に確認すべき場所を教えてもらう。

この方法が、今回の移行では非常に有効でした。


これまでも、Web関係に限らず、PCを操作していると、何かとエラーは出るものです。その際エラーメッセージを解読(翻訳)するのはかなり難問でした。昨今は英語のページもChromeの翻訳機能である程度は理解できるようになりましたが、100%内容を理解することは稀でしたから、AI様々です。

翻訳機能で日本語化できることと、エラメッセージを理解できることとは別物ですから。



4.データベース移行でもエラーが発生


ところで、Webの仕組みは複雑で、単にWordPressのファイルを移しただけでは、投稿や固定ページは表示されません。


まずはじめは、旧サーバーのphpMyAdminからSQLファイルを取得し、新サーバー側のデータベースへインポートします。


ところが、ここでもエラーが発生しました。 エラーの原因は、SQLファイルの中に、旧サーバーで使用していたデータベース名を作成・使用する命令が含まれていたため、新サーバー側でアクセス権限エラーが発生したのです。


エラーメッセージをAIに示したところ、単なる「データベースの設定ミス」ではなく、SQLファイル内に旧サーバー固有のデータベース名が残っていることが原因と分かり、対処することができました。 この点でも、私単独だったら理解できず、この時点で移行作業はストップしていたかも知れません。


その後、新サーバー側で正しいデータベースを作成し、必要なユーザーにアクセス権を設定して、無事インポートを完了しました。(この辺りの作業の手順もAIは丁寧に指示してくれます)


Irvin John MabliによるPixabayからの画像



5.wp-config.phpを新サーバー用に変更


データベースの移行後は、WordPressが新しいデータベースを参照できるように、wp-config.phpを変更します。


変更するのは主に、


データベース名

データベースユーザー名

データベースパスワード

データベースホスト


です。


ここもAIに確認しながら、一項目ずつ変更しました。

この作業が終わると、いよいよ新サーバー上で以前のWordPressサイトが、表示されるかを確認する段階まで来たことになります。


6.移行後の確認で分かったこと


しかしながら、サイトが表示されたからといって、移行完了とは限りません。


今回も、以下の項目が正しく表示されるかを確認します。


トップページ

管理画面

投稿

固定ページ

メディアライブラリ

画像

内部リンク

パーマリンク

HTTPS


確認は一つずつ行います。


メインサイトでは、トップページのスライド画像が表示されないという問題も発生しました。


調べると画像ファイル自体は正常に移行されており、メディアライブラリから画像を直接開くこともできました。ところが、実際のトップページ画面には本来あるべき画像が表示されていませんでした。


fancycrave1によるPixabayからの画像



そこで、Lightningテーマのスライド画像設定を確認し、画像を再指定することで無事に復旧しました。

* わたしの場合、スライドショーをトップページに設定していたので、今回のようなスライド画像が表示されないという不具合が出たのかも知れません。通常の画像であれば問題なく表示されていたのかも知れません。と言うのは、他のページでは問題なく画像表示されていたからです。


この経験から、「ファイルが存在すること」と「WordPress側の設定が正しいこと」は別々に確認する必要があると分かりました。


7.サブドメインの移行は基本的に同じ


今回、メインサイトのほかに、sub.example.comという形式のサブドメインサイトも移行しました。

基本的な手順はメインサイトと同じです。


ただし、サブドメインを新サーバー側に登録し、そのサブドメイン専用の公開フォルダを用意する必要があります。


また、メインサイトとは別のWordPressとデータベースとして扱いました。


サブドメインの設定では「反映待ち」と表示されたこともありましたが、時間を置いて確認すると「正常」に変わり、SSLも正常に機能しました。


8.DNSとSSLを確認する


最後にドメインのDNSの確認です。


今回、ネームサーバーは、


ns1.xxxxxxx.jp

ns2.xxxxxxx.jp

ns3.xxxxxxx.jp

ns4.xxxxxxx.jp

ns5.xxxxxxx.jp


となっており、ドメインが新しいサーバー側を向いていることを確認します。


さらに両サイトともhttps://で正常に表示されることも確認します。


ここまで問題ないことが確認できたら、初めて旧サーバーを解約する準備に入ります。


9.旧サーバーは最後に解約する


新サーバーでサイトが正常に動作していても、旧サーバーをすぐに削除するのは避けたほうが安全です。


今回もバックアップを確保したうえで、メインサイトとサブサイトが新サーバーで正常に動作することを何度も確認してから、旧サーバーの解約手続きを行いました。 この点は、AIはとても慎重でした。



10.AIの助けがなければ、独力での移行は難しかった


Franz BachingerによるPixabayからの画像



今回のサーバー移行を終えて、最も強く感じたことがあります。

それは、WordPressやサーバーに関する専門知識が十分でない私一人では、今回の移行を最後まで完了することはかなり難しかっただろうということです。


特に役立ったのが、エラーに対するAIの対応力でした。


エラーメッセージをそのまま伝えることで、


  • 「このエラーは何を意味しているのか」
  • 「どこを確認すればよいのか」
  • 「今は何をしてはいけないのか」
  • 「次に何をすればよいのか」


を順番に整理することができました。


また、画面の状態を伝えながら作業を進めることで、いきなり複雑な操作をするのではなく、一つ操作して確認し、問題がなければ次へ進むという方法を取ることができました。


これは、サーバー移行のように失敗すると、サイトが表示されなくなる可能性がある作業では、とても重要なことだと思います。


もちろん、AIの回答をそのまま信用して操作するのではなく、実際の画面やエラーメッセージを確認しながら進めることが大切なことは勿論です。


今回の経験から、AIは単に質問に答える道具というより、専門知識が必要な作業を進める際の「相談相手」や「トラブルの切り分けを手伝ってくれる存在」として非常に有効だと感じました。


まとめ


Franz BachingerによるPixabayからの画像


今回のWordPressサーバー移行で重要だったのは、

  • ① バックアップを取る
  • ② ファイルとデータベースを別々に考える
  • ③ ファイルの階層を確認する
  • ④ wp-config.phpを正しく設定する
  • ⑤ エラーメッセージを正確に読む(スクリーンショットなどでエラー画像をチャットに添付)
  • ⑥ 画像・リンク・パーマリンクを確認する
  • ⑦ DNSとSSLを確認する
  • ⑧ 新サーバーが完全に正常になってから旧サーバーを解約する

という基本を一つずつ守ることでした。


そして今回、AIの助言を受けながら実際に作業したことで、単に「移行できた」という結果だけでなく、WordPress、サーバー、データベース、DNSがどのようにつながっているのかを、自分自身でも以前より理解できるようになったことが大きな収穫でした。


サーバー移行は一見難しそうに見えますが、バックアップを確実に取り、エラーが出たら慌てず内容を確認し、一つずつ原因を切り分けていけば、個人でも十分に挑戦できる作業だと感じました。


最後までお読みいただきありがとうございます。

from JDA


<追記>

今回、レンタルサーバーの移行作業では、生成AI「ChatGPT」に全面的にお世話になりましたが、長いやり取りの中で、いくつか的外れの回答、いわゆる「ハルシネーション(幻覚)」もありました。

それは専門知識の誤り、つまり今回ならWeb系、IT系の知識の誤報ではなくて、寧ろ私たちが指示するプロンプトの出し方に問題があると感じる節もあります。日本語の微妙なニュアンスを、AIは適切に判断できないところに原因があるのだと思います。しかし、これは人間同士のコミュニケーションでも充分に起こり得ることです。

プログラムの改善も求められる一方で、私たち利用者側もプロンプトの出し方に工夫が必要だと感じました。


AIはどんな質問にも「分からない」といったネガティブな回答は返してきません。だからこそ、私たちはAI一辺倒ではなく、緊張感を持ってAIの回答に向き合うことが求められるのだと思いました。


2026年7月27日月曜日

今更ですが『The Long and Winding Road』 〜音楽に於ける原曲とアレンジの問題を考える〜


hjrivasによるPixabayからの画像


はじめに

ボクはこれまでのブログのなかで、小学生の頃から、クラシック音楽が好きなことを述べてきた。クラシック音楽はご存知のように、ポップスやロックなど他のジャンルの曲に比べ、一曲が長いことが特徴の一つになっている。この「曲が長い」という特質がクラシック音楽には災いして、現代の多くの人から敬遠される最大の要因と考えられてきた。その証拠に、クラシック音楽で一般的に親しまれている曲と言ったら、短い曲が多いハズだ。と言うか、本来は長い曲の一部を抜粋し編曲したものが、人々に愛されていると言った方が、正確かも知れない。

例えば、バッハの『G線上のアリア』は、『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』という組曲のなかの第2曲が、独立した形で演奏されることが多く、世界中の人たちに愛されている訳だ。
演奏時間は5分程度で、一般の人にも受け入れやすくなっている。

ボクの場合、曲が長いことは苦にならない。むしろ短い曲に、物足りなさを感じるくらいだ。この「曲の長さ」に関して、ボクが昔から残念に感じていることある。先ず、そこからお話しすることにしよう。


名曲『The Long and Winding Road(長く曲がりくねった道)』への不満


(Image created with Adobe Firefly)


それはビートルズの名曲『The Long and Winding Road(長く曲がりくねった道)』に関してだ。ご存知、この曲は、1970年リリースのアルバム「Let It Be」の中の10曲目である。歴史に残る名曲であることは確かだが、ボクが個人的に残念に感じていることは、次に挙げるズバリ二つだ。


その一つ目が、『The Long and Winding Road』は、その曲調から考えて、アルバムの最終曲にセッチングされるのが、一番相応しいということ。1970年リリースのアルバムでは12曲中10番目にセッティングされている。

そして、二つ目が『The Long and Winding Road』の曲の長さの問題だ。要は、曲が短すぎることだ。曲名に「Long」の単語があるからと言った単純な話ではない。
この曲は3分39秒という、ビートルズのナンバーとしては、比較的長い方である。しかし、この3分39秒の長さでは、この曲のスケール感は表現できないと、ボクは常々感じてきた。

以上二つが、『The Long and Winding Road』に対するボクの不満だ。

次に、ボクの個人的な感想だが、この曲にはドラマ性があると思う。映画のエンディングに使われたら、さぞかしその映画全体を締め括るには相応しい、エンディングになるだろうと感じている。一つ目の不満「アルバムの最終曲が相応しい」とボクが感じるのも、この点と共通した認識からである。




ヘビーなビートルズフリークからしたら、ボクの不満は「邪道の何ものでもない」と、一蹴されそうだが、決して「イチャモン」ではない。ボク自身もビートルズファンの一人として、そして建設的な意見として、敢えて述べさせて頂いた。
ここまではボクの勝手な絵空事として捉えて頂きたい。


だが、ここからは『The Long and Winding Road』の歴史的経過を踏まえて、考えて行きたいと思う。


『The Long and Winding Road』には衝撃的な経緯が

実は、この『The Long and Winding Road』には、ビートルズファンなら誰もが知っているであろう、でも普通にはあまり知られていない、かなり衝撃的な逸話がある。

まず、本筋に入る前に、その逸話について簡単に述べておこう。

『The Long and Winding Road』は本国イギリス、そして米国では、1970年5月にアルバム「「Let It Be」」の収録曲の1曲として、世に登場した。ちなみに日本では1970年9月の発売である。録音は前年の1月に行われているので、発売までに1年4ヶ月ほどの期間が空いていることになる。音楽業界では、こうした空白期間があるのは、珍しいことではないが、この時の1年4ヶ月は、それなりの複雑な経緯があったことを意味している。

この件に関しては、これ以降で触れるが、別ブログでも概要を記しているので、こちらも参照いただきたい。

音楽聴き比べ_004『The Long and Winding Road』


作曲者ポールが思い描いた『The Long and Winding Road』

この曲は、クレジット上ではレノン=マッカートニーとなっているが、実質はポール・マッカートニーの楽曲とされる。
後々のインタビューでポールは、この『The Long and Winding Road』について、次のように語っている。

「・・・自分にはどうしても手の届かないものについて歌った曲だ。決して辿りつけない扉、そして延々と続く道についてのね」

出典:Wikipedia「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」

https://ja.wikipedia.org/wiki/    (2026年7月14日) 

と、上記のような、意味深なコメントを残している。 

また、「哀愁のある曲で、こういう曲が好き」とも語っている。一度聴けばポールの曲と分かるし、ポール自身も愛着のある曲として、ビートルズ解散後のソロライブでも、この曲は何度も演奏されている。そんなことからも、彼のこの曲に対する思い入れの強さを推察できる。


Dorothe WoutersによるPixabayからの画像


どちらが好みか?

ところで、ビートルズの解散は、一般には1970年4月とされているが、それより数年前、彼らの精神的支柱であったマネージャーのブライアン・エプスタインの急死以降、グループの不和が目立ち始めたことは、一般的にもかなり知られている事実だ。

名曲『The Long and Winding Road』は、そうした4人のゴタゴタの状況下で、グループ解散の最終的な決定的要因になってしまう。ただ、これは結果論的に考えられることで、ビートルズの解散理由は幾つも囁かれている訳で、真実は彼ら4人にしか分からないのだろう。或いは4人にも分からないのかも知れない。

さて、その決定的要因とされる事件とは、プロデューサーのフィル・スペクターによる、この曲への大幅な手直しだった。しかも、その手直しは突然のことで、尚且つポールに無断で行われたのだ。具体的にはバックにオーケストラと女声合唱のトラックを加えたことだった。ポールは、この曲はピアノを主としたシンプルなバラードにしたかったようで、実際にその意向に沿ったテープは出来上がっていた。そこに上記のトラックが追加された訳だ。この件に関し、ポールは非常に憤慨していたという。

私たちが一般的に聴いているのは、フィル・スペクターによるオーケストラと女声合唱が加えられたバージョンである。このアレンジについては、「派手な」「豪華な」「聞くに耐えない」「心地よい」などの賛否両論が、入り乱れたようだ。

こうした当時の評価は、ボク個人としては、当事者たちを無視した、無責任で度が過ぎるものと思っている。音楽史、絵画史を多少なりとも知ると、いつの時代の評論家の批評も、無責任で的外れなものが多いことが分かる。批評は飽くまでも他人の意見、自分自身の耳で実際に確認することが肝要だと思う。

Image by Gerd Altmann from Pixabay


この後触れるが、ポールの意向で「Let It Be...Naked」というアルバムが、2003年にリリースされていて、このアルバムでは、オーケストラ等なしのシンプルな『The Long and Winding Road』を聴くことができる。一度聴き比べてみてはどうだろう。


比較はナンセンス

聴き比べを推奨しておきながら、「比較はナンセンス」はないだろうと、お叱りを受けそうだが、両方を知らずして、何事も語れないのも道理である。

ボクのここでの意見としては、既に充分に聴き込んでしまったオーケストラ付きの『The Long and Winding Road』と、初めて聴く素朴な『The Long and Winding Road』を聴き比べるのは、フェアーでないということだ。ヒットチャート第一位などの華々しい既成事実のあるオーケストラ付きを選ぶのは、分かりきった結果だろうということだ。その意味でナンセンスと思うである。

実は、この投稿で一番言いたかったのは、この点なのだ。
例えば、例が適切かどうか分からないが、眼の前に2台の車があるとしよう。一台は一般に販売されているスポーツカー。そして、もう一台はそのスポーツカーにチューンアップや派手なカラーリングを施したレースカーだ。更にこのレースカーは、これまでに数々のレースで優勝実績のある車だ。
さて、「あなたはどちらに魅力を感じますか?」と問われたら、どう答えますか。まさに、こんな質問をされたのと同じではないかということだ。
レースカーの方が選ばれるという「結論ありき」の比較など、そもそも無意味だということ。

(Image created with Adobe Firefly)




ボクたちファンは、こうした二つの要素が存在すると、とかく優劣を求めがちになるが、世の中には白黒着かないことの方が多い訳で、それは「世の常」として、心残りはあるが認識する必要があるだろう。

2003年に発売された前述の「Let It Be... Naked」には、当初のポールの意向に近いアレンジの 『The Long and Winding Road』が収録されていて、幸運にも(?)ボクたちは聴くことができる。「幸運にも(?)」とクエッションマークを付けたのは、聴かないままでいた方が、あるいは、別テイクのものが存在すること自体を知らない方が、幸いなのかも知れないという意味を込めてだ。ちなみに、このアルバムをリリースするには、ポールの並々ならぬ熱意と努力、そして費用が掛かったことだろう。例えば、ビートルズの他メンバーやヨーコ・オノの了解を得ることだ。

この場合、ボクたちはオーケストラ付きテイクの方が、ビルボード全米1位になったという事前の知識がある上に、聴き慣れているという点で、優位だろうと考えるのが自然である。しかしながら、作曲者ポール・マッカートニーの学曲に対する熱い思いを考えると、心情的にはピアノによるシンプルな構成も推したくなる。

だが、何度も言うが、比較は無意味なのだ。どちらが楽曲的に優れているではなくて、名曲『The Long and Winding Road』には、こうした歴史的経過があったということを認識していれば充分なのだと思う。

未知と既知

ボクが今回この投稿で問いたかったのは、ビートルズのこの一件で感じた「音楽におけるアレンジの善し悪し」の問題と、人間の判断の問題だった。
往路はまだ見ぬ未知の世界。対して、復路は逆行とはいえ既知の世界。音楽の原曲は、まだ聴いたことのない未知なる曲。これに対し、アレンジ曲は編曲されたとはいえ既知の曲である。


Nenad DjokicによるPixabayからの画像


一般的に、人々は未知なる物に期待や興味を抱くことが多い。だが、ことによっては、無難な既知なる物を選択することもあるだろう。ところが、音楽など流行に限って言えば、未知なる物への憧れの方が、圧倒的に勝ることが多いのだ。
今回の『The Long and Winding Road』の場合、アレンジされ尽くした曲(テイク)の方が、1970年の時点ではファンにとっては新曲、つまり未知なる曲だった訳だ。
クラシックの歴史で考えると、パガニーニの原曲(オリジナル)があって、後々にラフマニノフが「パガニーニの主題による狂詩曲」としてアレンジした作品が、パガニーニのオリジナル以上に有名になった例が多い。そのため、ビートルズのケースでは、オリジナルとアレンジがどう時代で、尚且つアレンジの方が先にデビューしたから、事がややこしい(厄介)のだが。

だから、このテイクの『The Long and Winding Road』は、リリース後すぐに世界中の人々に愛され、大ヒットにつながった。「ビートルズの待望の新曲」という事実とレッテルが、大ヒットの一番の要因だったことは確かだろうが、曲自体の魅力があればこそだと思う。

前述した衝撃的なエピソードが世に知られて以降、ポールの素朴な原曲は、従来から親しまれているオーケストラ版の比較の対象になってしまった。しかしながら、ボクの個人的見解だが、この二つのバージョンは、曲の「生い立ち」を考慮したら、別の曲と考えるのが妥当ではないかと思えてきた。


まとめ的なこと

今回、「未知と既知に対する、人の反応が如何なるものか」という分析らしき事をしてきたが、実際のところ、筆者自身、頭が混乱してきた。この問題は、人間の「固定観念」とも密接に関係しているだろうから、ボクのような凡人には、到底解けないレベルの問題なのかも知れない。
何れにしても、ポール・マッカートニーの『The Long and Winding Road』という曲が何バージョンあろうとも、音楽史に残る名曲であることに変わりはないのだ。

最後までお読み頂きありがとうございました。
from JDA

<追記>
ポールが主張するオリジナルテイクとフィル・スペクターが加えたアレンジテイクの優劣は、好みの問題もあって、恐らく永遠の課題なのだろう。あるいは、本文でも触れたように、優劣をつけること自体が、無意味なことなのかも知れない。

音楽制作に携わる人たちにとっては、今回取り上げた、どの時点のテイクを世に出す、つまり製品化するかという判断は常に、頭を抱える難問なのだと思う。そう考えると、本文中で触れた騒動は、フィル・スペクターがポールに事前の打診をして進めていれば、避けられた問題だったのかもしれない。「タラレバ」議論は何の意味もなさないが、ビートルズファンからすれば、大変残念な出来事であった事は確かだ。

一方で、ソロ活動後のポールのライブ動向を知ると、オーケストレーションを加えた形で『The Long and Winding Road』が演奏されることが、多々あることが分かる。ライブ盤のいくつかにも、そうしたバージョンの演奏を散見できる。
こうしたことを考えると、ポールの胸中には、ある種の感情の変化があったのかも知れないと、単純なボクは考えてしまう。
1970年というあの頃は、ポールをはじめビートルズのメンバー、そしてプロデューサーのフィル・スペクターも含め、みんな若かったのだ。ちなみにポールは弱冠27歳だった。

<注記>
※本記事で使用している画像やイラストの一部は、画像生成AIツール(Adobe Firefly)を使用して作成しています。












2026年7月13日月曜日

鬱蒼とした樹々に囲まれた箱根「ポーラ美術館」へ

 7月3日(金)、家族とともに、久々の箱根一泊ドライブ旅行へ。
まだまだ梅雨明けしない時期でしたが、何とか雨に降られることなく、正月のあの駅伝コースの坂道を楽しむ事ができました。2日間とも曇り空で、時より雨粒が顔に当たるも、傘を差すほどのことはなく幸いでした。標高が高いこともあり深い霧が樹木を覆うほどで、非日常の景色を楽しめました。

さて、今回の旅行目的の一つが「ポーラ美術館」。
何度か行く機会があったのですが、何故か後回しになり訪問できなかった場所です。
今回、希望が叶い来館してみると、これまでなぜ後回しになったかが分かった気がしました。それは、「ポーラ美術館」は箱根旅行の定番コースの1号線、138号線からはチョッと外れていて、わざわざ行かなければならない立地だったからです。

今回は、そんな「ポーラ美術館」についてのお話です。


過去の記憶が甦る企業「ポーラ化粧品」

入り口付近の様子
左端にミュージアムショップがある。


「POLA」と言えば「ポーラ化粧品」、そして私にとっての「ポーラ化粧品」は、苦い経験と楽しい思い出が併存した会社でした。

それは、かなり時代を遡ることになります。忘れもしない1975年から76年にかけての就職活動の記憶。この1975年(昭和50)は第一次オイルショックの不況の影響を受けて、大手企業をはじめ、多くの企業で軒並み採用ゼロが実施された年でした。

学業を疎かにしていた私にとっては、この状況は甚だ辛いものがあったのです。自身が目指していた企業は、殆どが採用ゼロで、出願できたのはほんの僅か。その中に、件の「ポーラ化粧品」があった訳ですが、現実はそう甘いもんではありませんでした。いい訳ではありませんが、そんな新人募集を実施する企業でも、募集定員は1名乃至2名程度で、超狭き門だったからです。



そんな苦難の時代に、某金融機関に何とか採用が決まったのは、あの時代を考えるとラッキーだったと思います。
配属が決まり、新人として担当したいくつかの企業の中に、偶然のイタズラと言うか「ポーラ化粧品」が入っていたのです。戸塚にある工場でしたが、先方の女性担当者はとても親切で、良識のある方だったので、流石「ポーラ化粧品」だと感じたのを記憶しています。


ようやく来館できた「ポーラ美術館」

そんな思い出深い「ポーラ化粧品(正式には公益財団法人ポーラ美術振興財団)」が運営する「ポーラ美術館」に、今回初めて訪れた訳です。




セザンヌ、モネ、ルノアールなど、印象派の画家の作品が中心で、当館の自慢になっています。また、ピカソ、ゴッホ、マチスなどの作品も揃っていて、幅広いコレクションが特徴です。

その他にも日本美術や陶芸、ガラス工芸なども数多くて展示されていました。更に、多彩な展示内容と館内の独特の演出が際立っていて、他にはない独創性を感じました。この美術館の最大の魅力と言えるでしょう。

残念だったのは、天候と時間の関係で、「ポーラ美術館」の魅力の一つである、全長1kmほどの遊歩道を散歩できなかったことでした。晴れた日には、樹々の間からの木洩れ陽が、鮮やかだろうと想像できます。そんな訳で、遊歩道は次回までの「お預け」です。





自由で開放的な雰囲気が良い

ところで、「ポーラ美術館」の特徴として、自由な雰囲気が挙げられます。
例えば、全てではありませんが、多くの作品の撮影が許されていることは、他の美術館にはあまり見られない特徴です。私たち鑑賞者と作品を隔てる柵なども一部だけで、ほとんどの作品が間近で鑑賞できるのも喜ばしいことです。


「ポーラ美術館」は美術観賞の理想形かも

白い壁と大きなガラスが特徴の外観は、美を追求する会社だけあって、美しさとセンスの良さが際立ちました。ひとつ一つの作品は、広いスペースに余裕を持って展示されていて、好感が持てました。強いて指摘するとしたら、作品とその解説パネルが離れていたので、観賞の際、幾分支障があったかも知れません。



印象派の貴重な作品を身近に観られたのは、「ポーラ美術館」ならではと言えると思います。

一方、東京などで開催される最近の美術系の企画展は、混雑が目立ちます。そのため、一つの作品をじっくりと鑑賞できない、間近で観ることができないといった弊害があります。

人々が芸術に関心を持つことは、大いに結構だと思いますが、最近の美術館の実態は、芸術鑑賞の環境としては最悪だと思っています。余談ですが、そんな理由から、ここ最近私は、美術館に足を運ぶことが、極めて少なくなりました。

今回、この「ポーラ美術館」を訪れたのが金曜日でしたから、混雑もなくゆったりと鑑賞できましたが、これが土日、祭日だったらどうなっていたのでしょうか。

美術館側の採算のことを考えると、私が来館したこの日の入場者数では、NGなのでしょうが、この程度の来客数でこの種の「ミュージアム」が成り立てば、何よりだと思うのですが。

昨今の政府の方針をみると、文化芸術に関しては風当たりが強く、残念ながら先行きはあまり良くありません。経営内容が良くない施設は、閉館あるいは統合も検討されるということで、芸術を愛する私たちは軽視されているようです。

このように公共の施設が、将来的に期待できない以上、「ポーラ美術館」のような民間団体にエールを送りたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。
from JDA