2023年2月17日金曜日

気まぐれ天気 vs. 天気予報

気まぐれ天気 vs. 天気予報

最近の天気は気まぐれです

この記事を書き始めたのが、2月14日。

そうバレンタインデーの日だったが、今のわたしはバレンタインデーとは無縁で、そんな生活が十数年続いている。

今年も例外ではなく、恐らくその記録はこの先も延び続けるだろう(笑)。


さて、これからお話しするのはそんなわたしの哀れなバレンタインデーの思い出話ではない。


今回のテーマは最近気になる気まぐれな天気と天気予報についてだ。
わたしなりに考えたことをまとめておきたいと思ったからだ。




さて、仕事を離れてからは以前ほど気にしなくなった天気予報。

とは言え、天気はその日1日を左右する最も重要な要素だと思っている。

そこでこのところ気になるのが昨今の新聞やテレビによる天気予報の予報精度だ。


快晴の予報だったのが曇りだったり、その逆もありと外れることが多いように感じる。

ここ数日はハズレが続き、バレンタインの14日は、予報では私が住む横浜は朝から太陽マークの快晴のはずだったが、実際はどんより雲が空一面張り詰め、結果的には1日中晴れ間はなかった。


「最近の気象庁は怠慢だ!」なんてストレートに言いたいところだが、

正直なところ同情の気持ちも持っている。

この件について、ハズレ予報が多いことも問題だが、それ以上に関心なのが「何故ハズレるのか?」だ。

現在、天気予報を支える技術環境は以前にくらべ格段に進歩しているのに、その精度は一向に上がらない。

まずは「その原因は何故か?」をわたしなりに考えてみた。


素朴な天気予報

わたしのように昭和に生まれた人間は、お爺さんお婆さんあるいは両親など年配者から、

「西の空が夕焼けなら、明日は晴れ」とか「薄暗かったら、明日は曇りか雨」なんて

長年の経験と感に頼る大雑把な予想を日頃聞かされていた覚えがあるが、今思うとこれが意外に当たっていたように記憶する。

いつの時代から言い継がれてきたことなのかはわからないが、先人達の言い伝えもなかなか侮れないと思う。




ところで、わたしは昔からヘソ曲がりなところがあって、この天気予報の問題も次のように穿った考え方をしてしまう。

それは、気象衛星、スーパーコンピューターなど最新のテクノロジーを駆使しても、自然(気象)の激変ぶりには最新テクノロジーも着いていけないのが現実かと。
端的に言って、その変り型にはパターンがないからだ。


近年叫ばれている地球温暖化の影響で、自然現象は大きく変わった。
それは動かし難い既成事実だ。(世界には頑なに認めない人たちもいるようだが・・・)

その変化によって、以前の日本ではあまり見られなかった線状降水帯やゲリラ豪雨などの新たな現象がわたしたちの目の前でも起こり、甚大な被害をもたらしている。

さらにその現象は局地的に発生するため予想がしづらいのが特徴だ。
膨大な過去のデータを読み込ませたスーパーコンピューターは結果の分析には役立っても、
こうした予測の分野ではまだまだ未熟なのだろう。


厄介な「想定外」という言葉

こうした状況から思い出されるのが「想定外」という言葉だ。

ワンパターンが大好きなコンピューターにとっては、この「想定外」が一番苦手分野。


世界を見渡しても、ある地域では過去にない気温の上昇や干ばつ、別の地域では長時間にわたる豪雨により河川の氾濫や洪水など、さまざまな地域で両極端なことが起きている。
それをわたしたちは「想定外」という言葉で都合よく切り抜けているが、それは単にことを先延ばしにしているに過ぎない。何の解決にもなっていないのだ。

もはや、こうした現象が、いつ、どこで、どの程度の規模で起こるかを的確に予測することは、極めて難しいことはわたしたち素人でも容易にわかる。
そして、幸いなことに、こうした警報に関する技術的レベルは現在でも一定程度まで達しているので、その精度を高めるよりも、起こり得る被害をいかに小さくできるかの研究開発や避難ルート、避難場所の確保などに重点をおき工夫した方が建設的かつ現実的だと考えてしまう。(残念ではあるが・・・)



わたしたち人間は「バベルの塔」の神話ではないが、歴史的にみて自らの能力を過信し弄んできたように思う。特に近代においては。

だからと言って、いまさら「そのツケをわたしたちは今払わされている」なんて寓話的で説教めいたことは言うつもりはないが、人間が自然を壊してきたことはどう抗っても明らかなこと。
大いに反省し、壊した自然をできるだけ元の自然に戻せるように努めることが、
今を生きるわたしたち人類が行うべき最優先課題だと思う。

今やるべきことは人と人との争い(奪い合い)ではない。


話は多少本筋から逸れてしまったが、このままだと天気予報はハイテクを備え理論武装だけ整えた単なる分析器だ。

仮に、気象関係のお偉い方々が予報の精度を今以上に上げようと考えているのなら、わたしは現状の精度で十分だと言いたい。多少のズレはあったとしても、そのミスを受け入れる寛容さは持っているつもりだ。わたしたちの天気予報の利用の仕方、期待度を修正すれば済むことだから。
現在のように天気図や週刊天気図などを凝った画像にしたり、頻繁にそれを変更したりと無駄なことが多いように見受けられる。
視聴者が期待しているのは上記のようなことではない。

しかしながら、天気予報の番組に趣向を凝らしたり、予測精度向上のために多額の費用をこの先も費やす意向ならば、むしろその莫大なお金は別のところへ回すべきだと思う。

「一体いまの天気予報はどこを目指しているのか?」そして「気まぐれ天気にどこまで付き合っていくのか?」それがはっきり見えてこない。

今一度、わたしたちは天気予報のあり方を考えるべきだと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。

JDA 2023.02.16


2023年2月2日木曜日

犯人は君だったのか?

犯人は君だったのか?

Alfonso CerezoによるPixabayからの画像

何年か前から、わが家の狭い裏庭にセンリョウが植えてある。

家内が言うには、はじめは細い枝で赤い実のセンリョウを植えたのだが、

いつしか黄色の実もでるようになったそうだ。


根が共通なのか、それとも根は別々でそれぞれ独立しているのかは定かでないが、実に不思議なことでわが家の七不思議のひとつになっている(チョッとオーバーか?)。

突然変異か、あるいは食物連鎖の一環によるものなのか、皆目分からないが実に興味深い。


だが、今回の話題はそのことではない。
とは言っても、主役はそのセンリョウなのだが・・・


あいむ 望月によるPixabayからの画像


その訳ありのセンリョウ、昨年の今頃だったと思うが、たくさん実をつけたなと思っていたところ、ある日突然、その実のほとんどが消えてしまったのだ。

更に不思議なことに消えたのは赤の実のみで、黄色の方はなぜか残っていた。


まず頭に浮かんだのは「黄色の実がなぜ残ったのか」の疑問よりも、「果たして誰が?」の方だった。

野良猫がわが家の狭い庭を横切っていくことはよくあるが、果たして猫は木の実を食べるだろうか?恐らく、特別な事情がない限り、食べないだろう。

そうしてみると、最有力なのが鳥だ。
中でもこの付近でよく見かけるのが、今や都会の悪役になってしまったカラスである。


確かに付近のゴミ置き場を漁っている光景はよく見かける。わが家の屋根やベランダの手すりを悠々と歩く姿を何度も見たことがある。更にかれらは鳥類でも雑食種だからなんでも食べる。


よって、わたしの家ではそのときの結論はカラスが犯人だった。

まさに、今年のあの光景を見るまでは・・・


PexelsによるPixabayからの画像


思いがけないところから犯人判明!

今年もまたわが家の庭にセンリョウの実がなった。

月日の経つのはいつものことながら早いものだ。
年を重ねると尚のこと、ため息と共にしみじみと実感すること然りである。

さて、そんな悠長なことお思っていた矢先、例のカラスが犯人の事件(?)を覆す光景が我が目の前で展開されたのだ。

正直なところ、この時はすっかり去年の一件は忘れていたのだが、台所からガラス戸越しに見た光景は、あの時の記憶を一瞬にして蘇らすものだった。

それがイメージ1、2である。


<イメージ 1>


<イメージ 2>


時まさに2023年1月23日午後の出来事。

さらに、決定的な証拠が以下の動画 1である。


<動画 1>


犯人は何と普段よく鳴き声を耳にするヤマバト(orキジバト)だったのだ。

早速、現行犯逮捕といきたいところだったが、ヤマバトの何とも無垢で健気なその姿に
その時は脱帽だった。

いま人間の世界ではコロナの影響で不便を強いられることが多いが、動物も生きるために必死なんだと感じた。

よって、この場は無罪放免とすることに。
また、昨年まで窃盗容疑がかかっていたカラスについてもお詫びをしなければと。
画像で見ての通り、細い枝に器用に乗っかる芸当は、到底カラスには真似できないだろう。


新聞やテレビのニュース等ではウクライナの問題や前述のコロナの問題、そしてわたしたちの暮らす身近な社会でもオレオレ詐欺、強盗そして殺人事件など不穏なニュースばかりが目を引く。

そんな暗いニュースばかりが報道されるなか、この時ばかりはゆったりとした心癒される瞬間を過ごすことができた。

追い払うどころか、感謝の意を添えたい気分だった。
「食べられるだけ、思う存分食べていきなさい」と心の中で呟きながら、彼らが自ら飛び立ってゆくまでずっと見惚れていた。


ちなみに、今この時点(2月1日)のセンリョウの状況は次のイメージ3のようになっている。


<イメージ 3>



去年ほど丸坊主にはなっていないがご覧の通りである。

そして、例によって黄色の実は何故か安泰である。



*追記*

一部の画像に写り込みが入り、醜い部分があることをお詫びします。
被写体が警戒心の強い鳥類のため、ガラス越しに撮影したためです。