2020年12月4日金曜日

わたしの中の「ギブ・ミー・チョコレート」と「ボールペンの時計」の記憶

わたしの中の「ギブ・ミー・チョコレート」と「ボールペンの時計」の記憶


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横浜にある米軍根岸住宅地区の跡地がいま注目されています。

広報、タウンニュース等によれば、市大医学部および付属病院が再整備され、

移転するという案が有力のようですが、決定にはまだまだ時間がかかりそうです。


米軍住宅の跡地といえば、神奈川県内では中区の本牧や横須賀など、

これまで長期にわたり検討がなされ、段階的に処理が行われてきた経過があります。

その最終段階なのでしょうが、戦後75年、まだまだ戦後は終わらないようです。


さて、そんなまえおきはこれぐらいにして、今回お話しするのはこの跡地問題云々といった硬い話ではなくて、わたしの記憶の中にある、遥か昔の進駐軍にまつわるエピソードです。この米軍住宅跡地の記事を目にし、当時の記憶が甦りました。


Paul Henri DegrandeによるPixabayからの画像

わたしは以前ブログに、幼いころの記憶にはかなり自信があると書いたことがあります。

勿論、すべてを記憶しているわけだはありませんが、3歳ころにあったこともいくつか覚えています。

友人や家族にそのことを話すと「親から聞いた話を覚えているだけじゃないの・・・」と一蹴されてしまいますが、そのときの光景までが生き生きと甦るのですから自分としては信じるしかありません。


PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

その一例として、進駐軍の兵隊さんから、ボールペンで時計の絵を描いてもらったという記憶があります。もちろん、紙上にではなくて腕時計をする手首にです。

当時の子供たちはみんな描いてもらったと思います。少なくともわたしの家の近所の子供たちはみんな。

それと、アメリカ製のチョコレートをもらった筈です。


わたしは米軍ハウスがあった本牧に近い横浜山手地区で生まれ、幼少期をしばらくそこで過ごしました。

いわゆる、「ハマッ子」で「ギブ・ミー・チョコレート」の世代です。

現在のマイカル本牧がある本牧地区周辺は、当時は米国人のハウスが、きれいに整備された広大な芝生の敷地内に贅沢に点在していました。

「日本にあって日本ではない」いわゆる治外法権区域です。ですから、わたしたち日本人の家とは完全に一線を画していました。

正確かどうか分かりませんが、山手地区に住む米国人は本牧地区よりも更に高レベルの生活をしていたようです。

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ところで、「ギブ・ミー・チョコレート」とは、文字通り米兵にチョコレートをねだることです。

その頃の日本のお菓子といえば、せんべい、飴、ビスケットぐらいが精いっぱい。

チョコレート、ガムそしてケーキの美味しさを知らない子供がたくさんいた時代でした。

そうした米国のお菓子の美味しさを知っているものにとってはチョコレートは憧れの的だったのです。

日本が高度経済成長期に入る前、日本全体がまだまだ貧しかった時代のことです。


そしてボールペンもまた、当時の一般家庭にはまだありませんでしたから、

米兵を見るとバカのひとつ覚えに「ギブ・ミー・チョコレート」のフレーズを繰り返したのです。そして、左手を突き出し右手で「ココ、ココ!」と時計の絵をねだったものでした。

時計の絵は当時の子供たちの間ではステイタスであり、自慢のひとつだったのです。


カトリック山手教会聖堂
カトリック山手教会聖堂

中庭のマリア像
中庭のマリア像

と、こんな風に当時の光景がわたしの頭の中にインプットされています。

また、この山手地区は当時は外国人が今以上にたくさん住んでいてクリスマスシーズンになると、それぞれの家が美しく飾り付けをして、色とりどりのイルミネーションが輝き、まるで別世界のように思えました。


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ちなみに、当時の米兵はみな笑顔で時計を描いてくれました。

でも、ボールペン本体はもらえませんでしたが・・・(笑)

現在も山手本通り沿いに建つカトリック山手教会周辺での遠い昔の記憶です。

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