2025年5月11日日曜日

やっぱり、レコードはいい!

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  先日、長年使っていたパイオニアのアンプが壊れた。それより数週間前にはヤマハのCDプレイヤーがCDの後半になると音飛びして調子が悪くなっていて、結果的にはこちらも壊れた。
その他にもドライヤーが熱風が出なくなったり、洗濯機のドラムの回転がおかしかったりと、ここ数ヶ月の間に電化製品の故障が連続した。
その昔、友人が「電化製品って連鎖反応的に故障するんだよな~!」と渋い顔をして嘆いていたことを思い出した。

若いころから特定の宗教を信じる訳でもなく、熱狂的な支持政党がある訳でもない私は、当時の友人の話を半信半疑に聞いていたのだが、この電化製品の連鎖的故障に遭遇し、友人の意見には一理あるような気がしてきた。
突然の臨時出費に少々気落ちしていたのだが、「捨てる神あれば、拾う神あり」とはよく言ったもの。
連続する電化製品の故障から思わぬ再発見があったからだ。
今回はそんな「瓢箪から駒」的な嬉しい再発見のお話だ。


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さて、私は中学生のころからクラシック音楽が大好きで、高校までレコード鑑賞部に入っていた。部と言っても名ばかりで、私の入部以降は部員不足でわがレコード鑑賞部は同好会に格下げになってしまった。それでも文化祭のときはクラシック音楽の普及を目指し(?)、レコード鑑賞会を開催したこともあったが、結果としては部員拡大には至らなかった。
当時は、いまほどクラシック音楽は一般的ではなかったのだ。


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<学校の音楽室に必ずあるベートーヴェンの胸像>

ちなみに、高校卒業のときには部員は私一人きりで、卒業アルバムの部活紹介ページには顧問の先生とのツーショットが掲載され、そのときだけレコード鑑賞部は話題にのぼった。
当時は気恥ずかしかったが、今思えばよく一人で頑張ったと自画自賛である。

放課後、音楽室でひとり寂しく(?)グリーグのピアノ協奏曲を聴くのが私にとっての最高のひとときだった。中高6年間でいちばん懐かしい思い出である(笑)。

そんな訳で、私にとってクラシック音楽は日々の必需品なのだ。
よって、前述のようなアンプの故障は私にとっては一大事。取り急ぎ、替えのアンプにスピーカーをつなぎ、音だけは出るようにした。

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「果たしてセッティングは上手くいったかどうか?」と試しに何かを掛けることに。
しかしながら、前述のCDプレイヤーは完全な故障とは言えないが、あまり調子は良くない。
そこで登場するのが、このところ出番のなかったレコード・プレイヤーである。
日頃はCDかアップルMusicで音楽を聴くことが多かったから、レコード・プレイヤーは久々の登場だ。

手に取ったのがカラヤン指揮、ベルリン・フィルのブルックナーの第9番のレコードだった。(この後触れるが、結果的にこの選定が良かったことになる。)

ちなみに、カラヤンはベルリン・フィルとブルックナーの交響曲第9番を2回録音している。1966年3月、イエス・キリスト教会での録音と、1975年9月のベルリン・フィルハーモニーホールでの録音の2回である。


カラヤン ベルリン・フィルによる1966年盤の
ブルックナーの交響曲第9番

今回テストとして選んだのは、私としては思い入れが強い1966年盤の方だ。久しくかけていなかった一枚で、針を下すとレコード特有の「プツプツ音」はいくつかあったものの、盤の方は概ね良好だった。それよりも何よりも驚きだったのがレコードの音質の良さと、カラヤンによるブルックナーの交響曲第9番の指揮振りと楽曲解釈、そしてスケールの大きさだった。イエス・キリスト教会で録音されたこの第9番は、作曲家ブルックナーのこの曲への思いと指揮者カラヤンの演奏と解釈が完全に一致し、まるで教会内で聴いているかのような崇高な響きに、そのとき私には感じられた。
「レコードって、こんなに良い音だったんだ。やっぱりレコードはいい!」これが思わず出たそのときの感想だった。配線のテストとして掛けたのだが、ドンドン引き込まれ全曲聴くことになってしまった。


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この時のカラヤンのブルックナーの第9番については、触れると長くなってしまうので、こちらは別の機会とし、ここではレコード盤の素晴らしさを再認識したことについてお話することにしよう。

今の時代、わが国ではCD、レコードを販売しているショップも激減し、街の店舗で購入するとしたら大都市の大型CDショップへ行くか、中古ショップに限られる。あるいはネットでの購入という手もあるが、いずれにしても世知辛い世の中になってしまったものだ。

ところで、アップルのiTunesから始まったダウンロード・ミュージックは、最近では聞き放題のストリーミングが主流になり、CDやレコードは若者にとっては、遠い過去の遺物と化してしまったように私は感じているのだが、果たして実態はどうなんだろうか。

更に、音楽を聴くスタイルも以前とは大きく変わったように思う。私の時代はFM放送などラジオで聞く場合は、何かをし「ながら」聞いていたが、レコード盤で聴くとなると、部屋でステレオに向かってじっくりと構えて聴いたものである。

それが音楽を聴くデバイスが小型化するにつれ、イヤホーンなどでアウトドアで楽しむのが主流になり、いつでもどこでも聴けることが重要視されていった。

かつて、ソニーのWALKMANが市場をほぼ独占状態にしたことがあったが、あのときのミュージック・ソースはカセット・テープだった。
もちろん最近のミュージック・ソースはカセット・テープやCDではなく、MP3やWAVなどのデジタルデータだ。そして今はご存じ聞き放題のストリーミング配信の時代へと向かっている。


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便利になったものである。この先、私たちはどのようなスタイルで音楽を楽しむことになるのだろうか。おそらく、現在のAI技術を使ったスマート・スピーカーなどは更なる進化をするだろう。そうなると正直なところ私は、「期待」よりも寧ろ「不安」を感じてしまう。


例えば、スピーカーに向かってお願いすると好きな音楽を掛けてくれる機能は、いまの段階でもすごい技術だと思う。しかしながら近い将来、スピーカーが前もって人の心を読んで、好みの曲を掛けてくれるような機能にバージョンアップされる時代も、そう遠くはないのかも知れない。

このように革新的な技術によって、私たちのミュージックライフはドンドン便利になるのだろうが、その反面で操作する楽しさはドンドン減少してゆくように思える。
現状、PCの画面のボタンをクリックすれば音楽が流れてくる。あるいはデバイスに呼びかければ好きな音楽が流れてくるという手軽さは、確かに捨てがたいことだと思う。だが、その反面私などは、何か物足りなさを感じてしまう。いったい人間は何をすればよいのだろうと、アタフタしてしまうかも知れない。


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話題を音楽媒体に戻せば、正直なところ、音楽はダウンロードやストリーミングだけではダメだと私は思っている。
やはり、古い人間のわたしなどは、ジャケットからレコードをとり出し、ターンテーブルにレコード盤をのせ、静かにトーンアームを下すといった「一連の作業」が我儘なようだが、必要と感じてしまう。この作業があってこそ音楽を鑑賞するという気分になるし、贅沢なひと時を過ごしているという実感も沸くのである。


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更にもう一つデジタル音楽に欠けているのがジャケットの存在だと思う。
これに関しては、1983年以降のデジタル・アナログ論争でも盛んに言われてきたことだが、やはりCDやレコードのようにジャケットがないとインパクトが薄れてしまう。
ダウンロードやストリーミングは確かに手軽で便利だが、目に訴えるものがないから、記憶に残りづらいことは否めないと私は考えている。
私のように年齢を重ね過去を振り返ることが多くなると、媒体(CDやレコード盤)があることがとてもありがたいと感じる。
ジャケットがあると「あのCDを聴こう!」というときの手助け(閃き)になるのだ。
手に取るものがないと振り返ることもままならないからだ。

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長々と音楽ソースとその再生機器について書いてきたが、今回、レコードの魅力を再認識させてくれたのが、アンプやCDプレイヤーの連続故障だった。
それは俗に言う「不幸中の幸い」の出来事から始まったが、レコードそれ自体がわたしたちにとって馴染みやすい媒体だったからこその再発見だとも言える。

考えるに、レコードほど時代に逆行し、その存在を社会にアピールした媒体は今までになかったと思う。何しろ日本の社会で一度は絶えたレコード生産が復活したのだから。中古市場から始まったレコードの待望論は、その後レコードプレーヤーの新製品まで世に出すほどになった訳で、こんなオーディオメーカーを動かすほどの出来事は今までになかったことで、こうしたことが日本の社会で起きたとは信じがたいことである。

よく外国のドラマや映画を見ていると、主人公が自宅のリビングでレコードを掛けるシーンを見かけるが、ヨーロッパやアメリカではまだまだレコードが愛されているのかと思うと何とも羨ましく感じる。クリント・イーストウッドの映画や海外ドラマBOSCH(ボッシュ)のタイタス・ウェリヴァーが、レコードでジャズを掛けるシーンなどは、CDやスマートミュージックでは様にならないだろう。


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残念ながら、日本の社会は新しいものに対しては非常に寛容であり安易である。
そして、これまで愛用したものに対する愛着がチョッと希薄なように思える。
要は「新しいもの好きで、熱しやすく冷めやすい」国民性なのだろう。
それはこの私も同様で、悔い改めなければいけないと常々思っているのだが・・・

そう!1983年、CDが世に出たとき、音楽業界だけでなく社会全体がレコード派とCD派に分かれ、ながらく両派の論戦が続いたが、それでも時代の流れとともにレコードショップからレコードが消えていったことを昨日のように覚えている。どうしてあのとき二者択一でなければならなかったのか。現在のように、二者が共存しても良かったのではないかと。
この時も恐らく、日本人の気質が強く作用したのだと思う。
今回のレコード再認識の一件は、そんなことを私に示唆しているかのように思えた。。

今まで使っていたものが、新しいものの出現によって消えて行くのは、ある意味理解できるし、これまでの世の中の常識だったかも知れない。しかしながら、それはあまりに残念なことで大変に勿体ないことなのだ。便利さや効率化だけを追い求めるのではなくて、チョッと回り道でも、余裕のある生き方ができる選択も時には取り入れたらどうだろうか。

もうそろそろ私たちは「本当の幸福」とは何かを考える時だと思う。
今回、人類の発明品のひとつである「レコード」という製品を例にお話ししてきたが、この考え方はあらゆる事物に対して適用できると私は信じている。
私としては、第二、第三のレコード現象が起こることを願うばかりである。

それにしてもレコードの音は素晴らしい。

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA 

2025年4月15日火曜日

ボクと時間と珈琲と

その昔、「それを幼い子供に飲ませると知能が遅れる」との噂が、実しやかに囁かれていた時代がありました。

ボク自身、未だにその真偽はわからないのですが、小さいころから現在までズッとそれを飲み続けています。

一方で、「それを飲むと夜眠れなくなる」という別の弊害(?)もあるようなのですが。
見方を変えると、「眠気を覚ましてくれる」という効能にもなるわけで、物事の良し悪しは視点を変えれば様々なのですが・・・


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もうお分かりですネ。
その正体とは、琥珀色の薫りとほろ苦い味わいが魅力の嗜好品「珈琲(以下コーヒー)」です。余談ですが、ボクは「珈琲」という漢字表記が大好きですが、これ以降は「コーヒー」表記とさせていただきます。

一見、悪い評判が目立つコーヒーですが、今ではすっかり私たちの食生活に溶け込んで、無くてはならない存在になっています。

そんな訳で、今回はボクが大好きなコーヒーにまつわるお話です。




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そもそも、コーヒーはチョコレートやケーキと同様に、従来から日本にあった飲食物ではないことはご承知の通りです。

そんなコーヒーですが、日本に初めてお目見えしたのは意外と古く、江戸時代。
そう、鎖国の時代にオランダ人によってもたらされたようです。しかしながら、この時代はまだまだ限られた人たちだけのもので、一般庶民まで広まらなかった訳です。
日本には昔から「お茶」の文化がありましたから、当然といえば当然のことですネ。

それが明治の時代になると、文明開化の下に舶来主義が広まり、文化人を中心にコーヒーを嗜好するという文化が広がって行きました。東京や神戸などに喫茶店、カフェができたのもこの時代からのようです。

とは云うものの、一般大衆にまで広まるのは、まだまだ先の話で、第二次世界大戦後になってようやく広まったようです。
戦時中は敵国の飲み物として禁止されていた時期もあったようで、コーヒーの輸入が本格的に再開されるのは50年代後半から60年代初めになってからです。

ボクは幼いころ横浜の山手や本牧に住んでいたので、米軍の「おこぼれ」の一つとしてコーヒーを知りましたが、冒頭でも触れたように「幼い子供に飲ませると知能が遅れる」という実しやかな理由から、原則飲ませてもらえませんでした。
それでも、たまには少量を飲ませてもらうことはあったのです。

叔母の家ではパーコレーターという珍しい器具でコーヒーを沸かしていましたが、その薫りは現代のドリップなどで淹れたのに比べ多少強めで、魅惑の薫りは部屋中に漂っていました。
ボクは大学時代に喫茶店でバイトをしていたので、サイホンやドリップなどでコーヒーを淹れることには、ある程度の自信と知識はありますが、あの時のパーコレーターの薫りはボクの記憶に強烈に刻まれています。いま、アマゾンなどでパーコレーターを探しても、当時と同じものはありませんネ。


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やがて、日本の社会も高度経済成長とともに食生活も豊かになり、コーヒーを飲む機会も次第に増え、コーヒー人口は拡大していったのですが、この辺りからコーヒー文化に異変が起こります。
インスタント・コーヒーの台頭です。

それは高度経済成長に於いては必然の出来事だったと思います。サラリーマンの生活は時間に追われるようになり、朝食をインスタント・コーヒーで簡単に済ませるようになったことが大きな要因です。こうしてインスタント・コーヒーは全盛期を迎えることになります。

ボクは毎朝食で、食パンにマーガリンをぬり、それを砂糖入りのコーヒーに浸して食べていました。当時はそれが一番おいしい食べ方だと思っていました。
これまで、その食べ方はボクの専売特許だと信じていたのですが、以前テレビの「小さな村の物語 イタリア」の番組で、イタリアの「おじいさん」が同じように食べているのを観て、
「敗けた!」と思いました。
今でも時折、当時を真似ることがありますが、いまは健康のことを考えて砂糖抜きにしているので味は半減です。イタリアのおじいさんは砂糖たっぷり入れてましたネ。


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最近では、イタリアの家庭には必ず一台はあるという「マキネッタ」というコーヒー器具を買って、新たなコーヒーの淹れ方で楽しんでいます。これも上記の「小さな村の物語 イタリア」の番組の影響ですが。
しかし、この「マキネッタ」という器具は本来、カプチーノという濃い目のコーヒーを少量楽しむものなので、どうしてもボクには濃すぎるため、お湯を足して通常のマグカップで飲んでいます。

<マキネッタ>
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幼少のころから、「幼い子供にコーヒーを飲ませると知能が遅れる」と言われつつ、飲み続けてきたコーヒーですが、果たして「ボクの知能は人並みのレベルにあるのかどうか」定かではありませんが、今はその心配よりもコーヒーの利尿作用による「トイレが近い」頻尿現象の方が切実な問題になっている昨今です(笑)。


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以前なら、外出の際は必ず一軒は立ち寄った喫茶店ですが、ここ何年かは利尿作用のこともあってか、ほとんど行かなくなりました。笑い話じゃないですが、最近は街に出かけると喫茶店ではなく、トイレの場所のチェックが優先です(笑)。
喫茶店に入らなくなったお陰かどうかはわかりませんが、小遣いの節約や時間の節約になりましたが、あのコーヒーを飲みながらの30分ほどのひと時はボクにとっては、とっても建設的で貴重な時間だったので、心境は複雑です。
いま風にスタバでノマドワーカーを装う訳でもなく、1、2本のタバコを吸いながら、行き交う人たちをただただウォッチングして、とりとめもない時間を過ごしただけだったのですが、チョッとしたアイデアが閃いたこともありました。人生にはそんな無駄に思える時間も必要なのだと思います。

街に出れば、歩きながらスマホの画面を見つめる人たち、或いは電話をしている人たちをたくさん見かけます。電車に乗っていても、8割方の人がスマホを操作しています。
彼らこそそんな時間を持つべきだと思うのですが・・・

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA


2025年4月14日月曜日

あの頃の横浜本牧

2025年も早いもので4分の1が終わってしまいました。

毎度のことながら、月日の経つのはわたしには快速特急のように速く感じられます。

さて、今年2025年は昭和の元号に置き換えると「昭和100年」に当たるとのこと。
マスコミや書籍などでも100年にちなんだ企画ものが目立っています。
それと同時に、「戦後80年」というフレーズも、テレビを見ていると連日耳にするようになりました。わたしを含め昭和生まれの人たちには、感慨深いことですが、平成や令和生まれの人たちにとってはどう響いているのでしょか。自分自身に置き換えれば、「明治が・・・」「大正が・・・」と言われてもピンとこないのと同じように、若い人たちも同じような感想ではないかと想像できます。

わたし自身は数年前ごろから、やたらと昭和の時代が懐かしく(愛おしく)感じられるようになって、「歳を重ねるとは、こう言うことなんだ!」と素直に納得しております。
それと、いまは亡き両親のことをいつも以上に思い出すのも、「昭和100年」の響きが影響しているのかも知れません。

そんな経緯から、今回は幼少期から20代前半まで過ごした横浜本牧の思い出を記録しておきたいと思い投稿に至った次第です。


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わたしの両親は昭和30年代初めに、念願のマイホームを本牧の一画に建てることができました。
父親の勤め先の住宅斡旋の話を機に決断したようですが、引っ越した当初は周りには家屋が1、2戸しかなく、とても物騒な場所でわたしたち家族はとても怖い思いをしました。
やがて、わが家の周りに家が建ちはじめ、1年程でようやく落ち着いた感じになりました。

この頃、わたしは小学校に入学しますが、学区内の小学校が自宅から遠かったため、6才の子供にとっては、ランドセルの重さと遠距離通学がとても辛かった記憶があります。でも、当時としてはそれが当たり前だったのでしょう。「ランドセルがひとりで歩いてる!」なんて、周りから冷やかされたこともありました。


山手プロテスタント教会


ところで、わたしたち家族が引っ越した本牧は、ご存知の方も多いと思いますが、1960年頃はまだまだ敗戦の傷跡がいたる所に残っていました。皮肉なことに、そうした場所はわたしたち子供の遊び場でもあったのですが、当時のわたしはそれを戦争の傷跡とは分かりませんから、どうして壊れた家がたくさんあるのだろうと不思議でした。むき出しになった壊れたコンクリートの土台の状態から、子供でもその家の間取りがはっきりとわかるほどでした。

そこは雑草が伸び放題で荒れ果てていましたが、チョウチョやトンボが飛び交う格好の場所でもあったのです。
人が住んでいる気配はないのに、何故かゴミが散乱していました。そのなかで一番印象的だったのが、紙製のカラの牛乳パックが落ちていたことで、子供ながらにとても不思議に感じました。
何故なら当時の日本は、牛乳と言えば牛乳配達の人が「牛乳ビン」で配達(宅配契約)するのが通常だったからです。スーパーやお店で牛乳を買うという慣習というか、社会のシステムが、この当時はまだなかったのです。


(こんな感じの跡地がたくさんありました)
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現在のような紙パックは当時としては非常に稀だったのです。米国人か日本人でも生活レベルが高い家庭でなければ、紙パックの牛乳を手にすることはできなかった時代だったと思います。

そうなると、あの紙の牛乳パックはどうしてあそこにあったのでしょうか。
未だに謎のままです。

そして、もう一つ不思議な建物があったのを記憶しています。
それはワシン坂という坂を上って行くと左手にワシン坂病院があり、その手前をUターンするように左折し、大きな樹々のトンネルを抜けてゆくと樹木に囲まれてその建物はひっそりと建っていました。子供の目にはどうしても「幽霊屋敷」としか思えないほどに古くさく寂れたお屋敷に見えました。

そのお屋敷は小学校の美術の教科書に載っていた、ゴッホの「オーヴェルの教会」の絵をモノトーン化したような陰湿な雰囲気が漂っていました。それでも子供の「怖いもの見たさ」の悪戯心がはたらき、数人の仲間と壊れた窓からチョッとだけ中を探検したことは覚えているのですが、内部の様子はまったく思い出せません。まるで、そこに棲みついていた魔女か何かによって、その部分だけ記憶を消されてしまったかのように空白なのです(笑)。
30年ほど前に懐かしさからその場所を訪れてみましたが、既にそこは建物の跡形もなく空き地のままになっていました。


ゴッホの「オーヴェルの教会」


思えば、1960年代と言えば、終戦から20年あまりが経過していた訳ですが、当時の日本はまだまだ貧しく、手付かずの場所がいたるところにあったのかも知れません。

東京大空襲は有名ですが、いまは亡き母親の話を思い起こせば、実は横浜にもB-29による空襲はあったのです。

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さて、本牧と言えば、前段でも触れたように、米国人、米軍、進駐軍そして米軍ハウスなどのイメージが強い場所です(最近ではそのイメージも薄れているようですが)。

わたしは5才になって間もなく、本牧に引っ越してきましたが、生まれた山手という地域もまた、外人墓地や洋館などがたくさんあって、米国人をはじめとして外国の雰囲気が漂った土地柄でしたから、わたしは幼少期からそうした異国情緒漂う環境で育ったことになります。

世に言う「ギブ・ミー・チョコレート」の風潮は、わたしたちやそれより若干上の世代が経験した米軍兵士とのホノボノとした交流、コミュニケーションだったのかも知れません。
歴史的には色々と議論のあるところですが、これこそ、駐留軍がいた地域でなければ経験できなかったことです。子供の見方なのであまりに近視眼的と、ご批判されるかも知れませんが、当時の米軍、米国は今よりも寛大で、「さすが大国」と思ったのはわたしだけでしょうか。

当時の本牧には連合国(主として米軍)のハウスがあり、彼らは駐留軍としての特権で、一定の地域を占有していましたから、わたしたち日本人はその地域は立入禁止でした。
3mほどの金網の柵というか塀で仕切られ、金網の向こうは正しく外国(米国)だったのです。横浜ではこの本牧と根岸の高台に彼らの住宅地があり、広大な土地が確保された中で「米軍ハウス」と呼ばれ、つい最近まで住んでいた訳です。


ちなみに、マイカル本牧は彼らが撤退した跡地の一画に建てられたものです。その辺りには、わたしの記憶では「ビーチ球場」という名前の米国人専用の立派な野球場がありました。
そう、ケビン・コスナーの映画「フィールド・オブ・ドリーム」に出てきたような球場だったと記憶していますが、さすがに球場周辺にはトウモロコシは生えていませんでした。金網越しに見るその光景は、まさに憧れのフィールドそのものでした。


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確か、夏休みのお盆の時は、「ビーチ球場」は日本人にも開放され、米軍家族と一緒に出店や盆踊りを楽しんだことも忘れられない思い出です。これは基地周辺住民に対する米軍の云わば感謝の気持ちであると、風のうわさに聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません。花火大会なども、ある時期まで盛大に行われていました。いずれにしても、日米親善の意味合いはあったようです。

このように、見るものすべてが当時の日本人からすると、目新しく羨ましいものばかりだったのですが、その最たるものがPX(Post Exchange)の存在でした。
PXとは米軍兵士やその家族のための日用品の売り場、いわゆる現在のスーパーのようなものだったのですが、小学生低学年のわたしには、いまの時代のコストコに匹敵するほどに大きく思えました。

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夕方ともなると、PXの建物はカラフルなネオンサインで煌めき、他のどこよりも明々と輝いていました。建物の前に広がる駐車場には、アメリカのテレビドラマ「サンセット77」に出てくるような大型で派手な色合いのアメ車がズラリと並んでいました。
子供の目には「カッコいい車がいっぱい!」程度に写っていた光景だったのでしょうが、戦勝国「アメリカ」と敗戦国「日本」の大きな格差を象徴する光景でもあったのです。


そんなアメリカを身近に感じる本牧には、彼ら米兵を相手にする商売ができてきたのは当然で 、リキシャルーム、ゴールデン・カップなどのレストラン・バー、ナイトクラブ、娯楽施設がありました。
ちなみに、本牧から多少離れますが元町商店街も、かつては外国人向けのお店がたくさんあり、日本人が入りづらく感じる時代があったのです。
わたしの記憶でも、横浜を走っていた路面電車「市電」に乗って、元町商店街入口辺りを通り抜けるとき、子供心に「あそこは禁断の場所」と、チョッと大袈裟な戒めのようですが、自分自身に言い聞かせていました。


現在の元町商店街の様子


また、現在マリンタワーが立っている辺りにあった「ヨコハマシーサイドボウル」というボウリング場や、元町商店街から代官坂通りを山方向に登ってゆくと右手に見える「横浜クリフサイド」なども当初は富裕層や米軍兵向けの娯楽場だったようです。

このように、わたしたちの生活に密接に且つ身近に存在していた外国(主に米国)の雰囲気。当時子供だったわたしには、善かれ悪しかれそれは極々当たり前の日常だったのですが、戦後という時代背景(占領下を抜け出したばかりの時代)を背負った大人たちにとって、 かつて敵国だった人間がすぐ隣にいるということに、如何ばかりの思いであったかは想像しがたいところです。
ただ、亡き父親の言動を思い起こせば、少なくとも良い感情は持っていなかったことは想像できます。

そんな訳で、当時の本牧という地域は複雑な思いが詰まった街だったのですネ。

マイカル本牧を通り抜け、山手警察署の交差点を右折して200mほど車で走ると、左手に「モーリス」というガレージ(修理場)があります。小学生だった当時、寄り道をして帰った時はいつも「モーリス」の前を通っていました。そのガレージはかつては外車専門の修理工場だったと記憶していますが、嬉しいことにいまも健在で、かつての雰囲気を今に伝える数少ない場所の一つです。

幼少期から青年期を過ごした本牧は、かつての本牧ではないのですが、楽しかった思い出も辛かった思い出も、偏りなく、いまのわたしの記憶の中で生き続けているように感じます。

いまは国産車が主なのでしょうが、そのむかしPX前に駐車していたようなカラフルでドデカい「アメ車」を「モーリス」のガレージ内で見かけると、そんなときは思わず胸が熱くなってしまいます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA

2025年3月16日日曜日

マイクロソフトの対応に疑問

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私はここ数年、マイクロソフトのサブスクリプション(以下、サブスクという)である
Microsoft 365 Personalというサービスを利用していました。それまではパッケージ版のOfficeソフトを、それこそWindows95の時代から数年ごとにバージョンアップを重ね使っていました。

余談ですが、Windows95の時代、ワードやエクセルをインストールするのに3.5インチのフロッピー・ディスク(1.44MB)というドライブを使っていたことをご存知ですか。
インストールが完了するまで何枚も入れ替えが必要で、それはそれは時間がかかったものです。当時はCD-ROMドライブを搭載したPCは高価でしたから、わたしのような一般ユーザーは手が出なかったという、そんな時代だったのです。DVDやBlu-Ray Discドライブが一般的な今の時代からすると、何とも想像しがたい話ですネ。

ちなみに、ワードやエクセルなどOfficeソフト全部をインストールするには、10枚程度のフロッピー・ディスクが必要だったと記憶しています。

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さて本題に戻り、その後ときが流れ生活に多少余裕ができると、こんなわたしでも数台のWindowsPCとMacを持てるようになりました。そうなると、それぞれのPC本体にライセンスの関係上、別購入のソフトウェアをインストールしなければなりませんから、今度は時間ではなくて高額のソフト代が掛かるようになりました。
何ともパソコンライフは金食い虫だった訳です。

そんな矢先、ソフトウェア業界に大きな革新が起こります。サブスクやクラウドと言った新たな動きが出始めたのです。それを機にわたしはサブスクという契約形態のMicrosoft 365 Personalをはじめることになったのです。

これなら、一契約をすれば必要なときにどのパソコンからもOfficeソフトが利用でき、その上MacでもOfficeソフトが使えるので非常に経済的で便利だった訳です。

当初は、月払い1,000円ほどで複数のOfficeソフトと1TBのクラウドサービスが使える内容で、尚且つ上記のような使い勝手の良さもあったので、お得感は十分あったのです。
いま風に言えば「コスパ最高!」だった訳です。

私にとって何より嬉しかったのは、MacでもWindows同様にOfficeが使えたことと、こちらはWindowsPC限定ですがデーターベースソフトのAccessが使えたことでした。


ところが、時代の趨勢と言いますか、いま話題のAI機能(Copilot)がOfficeソフトにも搭載されたのです。その結果、たちまち値上げになってしまった訳です。AI機能がプラスされたことによりソフトがさらに使いやすく便利になるのなら、この際値上げも致し方ないかと思ったのですが、その値上げの額が驚きで、以下にMicrosoft 365 Personalの金額を記載しておきますが、信じられませんでした。

<月払い>

1,490円 ⇒ 2,130円

<年払い>

14,900円 ⇒ 21,300円

上記を見るとおわかりのように、年払いでなんと6,400円の値上げなのです。
一瞬、桁を見間違えたかと思うほどに、大幅な値上げだった訳です。
このまま更新日が過ぎてしまったら、21,300円が自動的に引き落とされてしまうことになります。

私の場合、ラッキーなことにパソコン雑誌「日経PC21」の4月号の記事を見て、値上げの情報を知ったお陰で 、危うく自動更新されるのを免れたのです。

ただマイクロソフト側に立って言えば、更新日前であれば旧価格での更新も選択でき、従来通りの利用(ただしAI機能なし)も可能だったのですが。
とは言え、その旧価格での利用は期間限定ということで、いつまで旧価格で利用できるかはその時点では未定で、なんとも心もとない内容だったのです。

そんな訳で、こうした今回のマイクロソフトの対応には、些か不信感を抱かずにはいられなかったのです。


Gerd AltmannによるPixabayからの画像


恐らく、契約者宛に事前のお知らせや当初の規約等にはその旨が書かれていたのかもしれませんが、それでもあまりに一方的で不親切なやり方だと思います。
AIがいまの時代のトレンドとはいえ、その機能を使わない人たちにとってはそれは無価値に等しく、メーカーサイドの意向を無理やり押し付けられた感じがします。もう少し顧客サイドに立った対応をいただきたかったと思います。

最近では、PCを起動するとマイクロソフトのWebブラウザ「Microsoft Edge」が何度も開くような一方的な設定がなされていたりと、かなりGoogleのWebブラウザ「Chrome」を意識した動向が目立ち、そんなところにもマイクロソフトの焦りのようなものが感じられます。

「長い物には巻かれろ」とは「巨大権力には真っ向から逆らわず、取り敢えず従っておくのが得策」といった一種の処世術を唱えた「ことわざ」がありますが、今回のマイクロソフトの事例はどこかこの「ことわざ」に当てはまるような気がしてなりません。

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さて、そんな訳で、際どいところでMicrosoft 365 Personalを旧価格で利用することはできたのですが、現役を既に離れたいま、「自分にOfficeソフトは必要か?」と翌々考えてみると、結論は「No!」でした。もし必要なら無料で使えるWeb版Officeもあるし、Googleの「ドキュメント」や「スプレッドシート」もあるじゃないかと、考えが膨らみました。

その結果、Microsoft 365 Personalのサブスクをキャンセルしても、いまのわたしにはそれ程支障がないことがわかり、サブスクの契約を解除することに決めたのです。

ただ、以前から趣味の世界で使っていたマイクロソフトAccessはどうしても手放せないので
後日、単発のソフトとしてネットでダウンロード版を購入することに決めました。

ところが、またまたマイクロソフトの購入サイトに対し不信感を抱かずにはいられない事態が起こったのです。

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それは、どうしてこれ程にわかりづらく、混乱を招くような購入サイトにしたのかということでした。
実際、自分自身が購入画面で所定の手順で操作を始めたとき、一瞬脳裏をよぎったのは直前で読んだある購入者の購入レヴューでした。そこにはMicrosoft アカウントでAccessをインストールしようとしたがOffice365に誘導されるようなことが書かれていて、結論としてはその方はインストールができなかった旨のレヴューだったのです。

事前にこの方のレヴューを読んだときは、正直内容がいま一つ掴めなかったのですが、実際に自分で画面操作をしてみると、この方の言っていることがよく理解できたのです。
それは次の図1の画面を見ていただくとよくわかります。


図1 Microsoft アカウント画面


先ず、購入ソフトのインストールは、マイクロソフトの「Microsoft アカウント」画面(図1)から行うということが基本になります。
そして、今回わたしが購入した「Access」が、その画面左サイドにある「サブスクリプション」の項目にあることが混乱の基なのだと結果的には思いました。そもそも、わたしは今回「Access」をサブスクで購入したのではなくて、「永続版」を単発購入したのですから、「サブスクリプション」の項目に入っている(=隠れている)とは、夢にも思いませんでした。
これでは、わたしには「隠れている」としか思えませんでした。

どうしても「サブスク契約のMicrosoft 365」へ誘導したいというマイクロソフト側の意図が、図1の画面構成から感じとることができました。

そもそも「Microsoft 365」という名称がわかりづらく混乱のもとなのです。
Accessのダウンロード、インストールの方法にしても前述したように複雑に思えてしまうのです。
それもこれも「Microsoft 365」という名称が混乱を招いているのだと思います。

一度、購入手順の全体像がわかると、至って簡単な手順だということがわかります。
ところが、何度も言うように、諸悪の根源は「Microsoft アカウント」画面の左サイドメニューにある「サブスクリプション」の項目の中に、購入した単発のソフト「Access」が配置されていることなのです。

ネットを利用していると、ネットでの解約や退会の際の手続き画面にたどり着けず、わかりにくいという指摘をよく聞きますが、今回のケースはそれとよく似ています。
入会を勧める画面は呆れるほど出てきても、退会画面は何層も深いところに潜んでいるのがネットの世界なのですネ。

Augusto OrdóñezによるPixabayからの画像


度重なる今回のマイクロソフトの心ない対応には、30年来Windows95をはじめとするマイクロソフト製品を愛用してきたユーザーの一人としては、何とも残念でなりません。

GAFAなどとの熾烈な競争があるにしても、巨大組織マイクロソフトにはIT業界の王者としての余裕と寛大さがあってほしいと思います。
マイクロソフトの元創業者であるビル・ゲイツ氏を尊敬している一人として・・・

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA

2025年3月12日水曜日

今年もウグイスが・・・

 今日は2025年3月12日(水)です。
今朝、わたしは今年初めてのウグイスの鳴き声を聞きました。
あいにくの曇り空で、いまにも雨が落ちてきそうなそんな天気でしたが、ウグイスは元気に鳴いていました。
まだ完全な「ホーホケキョ」ではなかったのですが、確かにウグイスでした。


<ウグイス> JoëlによるPixabayからの画像


お隣さんの雑木林に住み着いてるのか、あるいは毎年どこかからやってくるのか分からないのですが、わが家からそう遠くないところから、その爽やかなさえずりは聞こえてきたのです。

昨年などは、夏も終わりの9月頃まで鳴き声を確認することができましたが、果たしてまたあの同じウグイスが来てくれたのでしょうか。


幸いにして、わが家はお隣さんの雑木林が隣接しているため緑ゆたかで、通年ウグイスをはじめとして幾種類もの野鳥の鳴き声を借景(?)をバックに楽しむことができます。


以前、ウグイスについてネットで調べたことがあります。
それによると、ウグイスは日本全国に分布し、生息領域は比較的広いとのこと。
それまで、わたしはウグイスは渡り鳥の一種だとばかり思っていたのですが、そうではないようです。
地域によって、夏は高原や山地で過ごし、冬に平地に下りてくるウグイス(漂鳥という)と、ほとんど移動しないウグイス(留鳥という)に大雑把に分けることができ、その生息形態は様々なようです。いずれにしても、見かけよりはタフな鳥で環境への適応性はかなりあるようです。

しかしながら、警戒心は強いようで、これまで幾度となくさえずりは聞いたのですが、実はわたしはその姿を一度も見たことがありません。図鑑などで確認すると、一見メジロに色合いと姿かたちが似ているのですが、目の周りは白くはないようです。


メジロ (by Pixabay)


メジロは実際に見たことはありますが、こちらも警戒心が強く、動きが機敏でシャッターに納めるのは一苦労だったのを覚えています。(とは言え、今回のメジロの画像はPixabay有志様の作品によるものでわたしの撮影ではありません。)

恐らく、未だその姿を確認できないのですから、ウグイスもまたメジロ同様にキビキビと動きが速いのだと思います。

去年の記録がないので、今年のウグイスのさえずりのタイミングが、早いのか遅いのか判断できませんが、そんなことよりも、毎年ここにやってきてその鳴き声をわたしたちに聞かせてくれることが何より大事なのです。

新聞テレビなどを見ていると、人と人との争いや、地震、洪水、山火事などの自然災害が後を絶ちません。暗いニュースばかりが目立ち、この先が心配です。
また、かつては共存共栄を掲げていた国々が、ひとたび政治や経済が疲弊すると自国第一主義に傾いてしまう現状もまた危惧されます。

昨今の世界の状況を見ていると、まるで世界中が何か得体の知れない魔物に追われているかのように齷齪しているように感じます。

以前、別のブログ投稿で同じ意味合いのことを書きましたが、こうした状況のときこそ原点に立ち返る冷静さが必要なのだと思います。
「平和とは何なのか」、「人間の幸せとは何か」、「生きる意味とは何か」をチョッと立ち止まって、いま一度考えてみたらどうでしょか。


James KimによるPixabayからの画像


たとえマンネリ化と言われようと、「毎年同じ事ができること」「昨日と同じように無事に一日を過ごせること」など、そう!人間はいつも通りが一番なのです。
兎角、人は自身の生活の中に変化を求めがちですが、平凡で何の変哲もない日々が、実は私たちにとっては一番幸せで嬉しいことなのです。
今朝、緑いっぱいの自然の中でウグイスのさえずりを聴いていて、改めて気付かされた気がします。
いよいよ、春到来ですかネ!

最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA




2025年3月6日木曜日

ポテトチップの健康的な食べ方とは?

 常々、わたしは思うのですが、スナック菓子のポテトチップは

ジャガイモを使った料理の中で最高傑作ではないかと・・・


「止められない、止まらない」のコマーシャルでお馴染みの某スナック菓子同様、

ポテトチップも負けてはいないのです。

場所、時間を問わず、いつでもどこでも気軽に食べられるのが魅力ですが、

ポテトチップにもいろいろな味付けがあって、買うときに注意が必要です。

私はメーカーを問わず「塩味」が一番のお気に入りでした。

ズッと以前は「コンソメ味」が一番好きだったのですが、年を重ねるごとにチョッとしつこ

く感じるようになり、いまは「塩味」が一番です。


ところが数年前、青山通りの「紀伊国屋」へ久々に行ってみて、新たな味付けのポテトチッ

プを発見したのです。

参考までにそのパッケージ画像を添えておきますが、見ての通り、如何にも高級感あふれる

黒とゴールドのロゴがカッコいい筒状のパッケージ。

それは思った通り高価でした。



グラム数がちがうので、単純比較はできませんが、「恐らく、一般的なポテトチップの2倍

以上はするだろう」と、ウチの奥さんが豪語?しておりました。

それならば買いたくなるのが世の常?、人の常?。

へそ曲がりな私としたらなおの事。


しかしながら、それだけではわたしを購入まで至らしめる魅力はありません。

そんなわたしの鉄壁のガードを崩したのが、白い文字で描かれた「Black Truffle」のロゴ。

そして、その下に「黒トリフ香料使用」の一言。

「HUNTER'S」というメーカーの

「HAND COOKED POTATO CHIPS Black Truffle」(以下HUNTER'Sポテトチップという)

という製品だそうです。

なぜか原産国が「アラブ首長国連邦」になっていました。


長年トリフというものに憧れていたわたしはその一言で、敢え無くノックアウト。

当該のポテトチップのパッケージは呆気なくわたしの買い物カゴへ。

そして気がつけばレジへと向かっていたのでした。



帰宅後、早速試食をしてみることに。

プラ製のフタをとりアルミの封を開けると、ほのかに漂うこれまで経験したことのない香り。

これが「トリフの香りか!?」と頷く。

テレビでよく見かける、「トリフ犬が森の中でトリフを発見することができるのは、このニ

オイを嗅ぎ分ける事ができるからなんだ」と妙に感心したりして・・・



ところで、肝心の「黒トリフ香料使用」のポテトチップのお味の方はと言うと、普通のより

ちょっと硬めで輪切りも小さめ。

最初はトリフの香りのためか、ちょっと違和感を感じる独特の味わいでした。

クセがあると言ったらいいのか、わたしの周りでも、反応はマチマチ。

ですが、後々この独特の風味がわたしをはじめ家族の何人かを病みつきにさせたのです。


そんな絶妙な黒トリフ風ポテトチップですが、不満がないわけではありません。

それは、少々塩味が強いことです。 

このまま食べ続けたら完全に塩分摂り過ぎになってしまいます。

そのため、塩を多少ふるい落としてから食していますが、そんなのは気休めです。


そんな中、健康的でかつ経済的な食べ方(?)を思いつきました。

自分ではかなりのアイデアだと思っているのですが、一部にはバカらしいという意見も無き

にしも在らずですが、一応ご紹介しておきます。


塩分多めのポテトチップの健康的、経済的そして美味しい食べ方

<用意するもの>

・「黒トリフ香料使用」ポテトチップ

・蒸かしたジャガイモ


<食べ方>

1.蒸かしたジャガイモの皮を剥き、塩やバターはつけずにそのまま一口かじり、数回     噛みほぐす。

2.その後、直ぐにポテトチップを一枚口に入れる。そして再度数回噛み味わう。

ただし、1と2は前後逆でも可。


口当たりの良いポテトチップはついつい食べ過ぎてしまいがちですが、上記のように食べれ

ば、ポテトチップ自体も少なめに抑えられるし、これまで以上に一箱(袋)が長持ちするの

で経済的です。

ポテトチップのカリカリ感と蒸かしたジャガイモのホカホカ感が、お口の中で交わり絶妙の

食感を体験できます。

お腹もいっぱいになり一挙両得ですネ。


これぞ正に、「目には目を、歯に歯を」そして「ポテトにはジャガイモを」の教えと言える

でしょう。


そんな不動の人気と思えた「HUNTER'Sポテトチップ」に最近、強力なライバルが出現した

のです。

その名も「Calbee 堅あげポテト うすしお味」。

Calbee 堅あげポテト うすしお味
期間限定デザイン


「HUNTER'Sポテトチップ」は確かに美味しいのですが、前述したように

  • 値段が高い
  • 塩味きつめ
  • 品揃いが不安定(常に同じスーパーに品物があるわけではない)

と言った欠点があり。3番目の欠点は決定的に不利な要素と言えます。


とは言え、「Calbee 堅あげポテト うすしお味」にも欠点がないわけではありません。

例えば、小さいパッケージ(65g入り)しか売っていないようで、すぐに食べ終えてしまう

ことです。

しかし、その欠点は私にとっては致命的ではありません。


そんな訳で、コレステロール要注意の現在の私にとっては、量が少な目の「Calbee 堅あげポ

テト うすしお味」と蒸かし立てのじゃがいもを一緒に食すのが健康第一でベストな食べ方な

のです。


最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA