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いま時、CDやレコードを大量に持っていても、それは何の自慢にもならないし、むしろ負の遺産として邪魔者扱いされるのが関の山でしょう。わがCDの断捨離を迫る私の奥さんと、そうはさせまいと抵抗する私とのせめぎ合いはエスカレートするばかりで、近年わが家における深刻な(?)問題となっています。
CDでは、クラシック、ジャズ、
70、80年代のロック系そしてニューミュージック系などでおよそ5000枚、それに2~3百枚のLPレコードが、決して広いとは言えないわが家のスペースを占拠しているからです。最近では遂に、玄関の一角にCDラックを移動せざるを得ない事態に発展してしまったのです。
「CDもズラリと並べればインテリア」と思っている私に対し、わが奥さんは単なる邪魔者としか認識してくれないのが悲しいかな現状であります。
そんな訳で、今回はいま時の音楽との接し方についてです。
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冒頭でもふれたように、現在所有しているCDが、正確な数字はわからないのですが約5000枚。CDが一般に世に出た1983年から通算して、およそ40年の歳月で集まった数です。
その間には、いまで言うBOOKOFFやDISKUNIONのような店へ数百枚単位で持ち込んだことが何度かあるので、通算では6000枚くらいはあったのかも知れません。
仮に6000枚として、一般的にその数が多いのか少ないのかは、見解が分かれるところでしょうが、ウチの奥さん曰く「考えられない数」と終始呆れ顔です。
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そう言えば、中古CDの持ち込みの件では、過去に忘れられないエピソードがありました。
参考までに、この場を借りてご紹介しておきましょう。
それはある音楽雑誌の最終に近いページに載っていた宣伝記事でした。その記事とはよくある「聴かなくなったCD引き取ります」の宣伝記事だったのです。当時の私はCDを買うことはあっても、売ることはなかったので、普段なら見向きもしない記事だったのですが、その時はなぜか目についたのです。そこにはユーミンのCD「DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)」を確か「3万円くらいで引き取ります」旨の内容が書かれていたのです。
当時としてはかなりのプレミア価格だったと思います。その店は新宿にあったのですが、さっそく 当該CDと100枚程度の聴かなくなったポップス系のCDを車に載せ、先ずは新宿へと向かったのでした。
その店の様子は今ではほとんど覚えていませんが、当時よくあったCDショップとは趣を異にしていたことだけは覚えて います。30~40歳代 の男性店員が対応してくれましたが、当該CDを見せると、しばらく考えた後「プラスチックケースはありますか?」と尋ねてきました。CDケースと解説書はもちろん持参しましたが、プラスチックケースというのが、その時わたしには何のことか理解できませんでした。
話を詰めていくと 、どうやら発売当初、このCD「DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)」は透明のプラケースに入っていたとのこと。それが付いていないと3万円では引き取れないとの趣旨でした。
プラケースのことなど すっかり忘れていた私でしたが、当時は恐らく捨ててしまったのだと思います。 仕方なく「それならいくらで?」と幾分不本意な口調で尋ねてみると、店員は一旦その場をはなれ奥に退いていったのです。
暫くして戻ると、恐縮した表情と至って冷静な表情とを二分したような、複雑な表情で「半額」の値段を提示してきたのです。
あのときの店員の表情には「本当はもっと低い金額なんだけど、わざわざ横浜からはるばる来てくれたのだから、その点を考慮しての半額」と言わんばかりの表情だったように記憶していますが、今となっては検証の余地はありません。結局のところ、当該CDを持ち帰るのもバカらしかったので、先方の言うがままに妥協することになってしまった訳です。
やはり、某テレビ番組で言っていたように、レア物は空箱、空ケースが 大事だと身に染みて感じたのでした。トミカのミニカーコレクションでも紙箱が有ると無いとでは大違いと、鑑定の人がこれ見よがしに言及してましたから。
将来、売ることを少しでも考えているのなら、買った時のままにしておくのが鉄則だと感じた次第です。
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| Jean-MarieによるPixabayからの画像 |
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さて、余談がながくなってしまったようですが、話を本題の「音楽との接し方」にもどしましょう。
そんな訳で、時代に取り残された感のある、わが「音楽コレクション」ですが、数十年前までは、CDやレコードをたくさん持っていることは一種のステイタスだった時代もあったのです。
そして、その時代は音楽は自宅のオーディオセットでレコード、カセットテープそしてCDで聴くのがお決まりだったのです。音量も近所から顰蹙を買われない程度の大きさで、というのが原則(?)だったのです。
やがて、こうしたカセットテープとCDの登場はリスニングの在り方を大きく変えることになります。
それはメディアがコンパクト化されたことで、音楽を楽しむ場所がマイホームからアウトドアへと一気に拡大していったことで、このことは皆さんも実体験としてご承知の通りだろうと思います。いわゆる、モバイル時代の到来です。
私の場合、モバイルと言っても、街中や電車の中よりも、ドライブのときに聞くことが多かったように思います。
助手席の彼女のために、前日コツコツと彼女好みの曲をカセットテープにダビングした経験のある方も少なくないはずです。
あの頃はそんなことに手間をかけ時間を費やしていましたが、そうした手間暇をかけることがいま思うと楽しくて、愛おしくて、たまらなく懐かしく思えてきます。
そんな記憶の断片が、「便利になることだけが幸せとは限らない」ということを気付かせてくれるのです。
例えば古いカセットテープを段ボール箱から偶然見つけた時など、その瞬間わたしたちの意識あるいは感覚は、アッと言う間に数十年前へとタイムスリップしているのです。
たとえそのカセットテープがTDKであろうとMaxell、Sony、AXIAであろうとメーカーは関係ないのです。カセットテープそれ自体が当時を鮮やかに蘇らせてくれる象徴なのです。
こうした意識あるいは感覚は、私は人間が生まれながらにもち得た、素晴らしい感性だと常々思っているのですが、かと言ってそのカラクリ乃至はメカニズムについては、私にはまったく分からないところです。
それはラジオから流れてきた懐かしのメロディーを耳にした時なども同様で、瞬時にその曲が流行っていた時代に自分自身を導いてくれるのです。まさにそのエネルギーは「音楽の底力」そのものと言えます。
幼少のころから音楽(その頃は主にクラシック)を聴くことが人一倍好きだったのも、この「音楽の底力」が作用しているのかも知れません。
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| BrunoによるPixabayからの画像 |
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さて、現代人の「音楽との接し方」と言えば、ドライブしながらカーステレオで楽しむという点では従来通りですが、媒体が大きく変わったように思います。CDは未だ健在ですが、カセットテープはほとんど利用されていないようです。一方でスマホとの連携機能が大幅に拡大し、音質面の向上も一段とアップしているようです。MP3ファイルなどをUSBメモリ等に保存して再生といった方法もあり、バリエーション豊富で選択に迷うほどです。
ジョギングや電車など乗り物での移動の際は、スマホでのワイヤレスイヤホーン、ヘッドホーンを利用したモバイルスタイルが主流のようです。
一方で、インターネットを通じて楽曲を楽しめるのが音楽配信サービスですが、このサービスは曲をダウンロードして聴く形式と、定額のストリーミング聴き放題で聴く形式と、大きく分けて二つの形式があります。
前者が音楽データ(ファイル)を購入するのに対し、後者はサブスク(サブスクリプション)という月々一定額を払い、音楽を自由に聴けるサービスです。いずれも音楽媒体を手元に所有しないという点では共通です。
現在、コンサートなどを除くと、上記の二つが私たちが音楽を楽しむ主流になっているようです。私はこれまで音楽ファイルのダウンロードは数える程しか利用しませんでしたが、数年前から後者の「ストリーミング」の方を利用してます。(お陰でCD購入代が大幅に削減できました)
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| StockSnapによるPixabayからの画像StockSnapによるPixabayからの画像 |
その反面、中古CDを以前よりは多く買うようになりました。いわゆる、自分にとってのレアものを探すのが楽しいです。
プレミアが付いているような高額CDは買えませんので、いわゆる廃盤ものや現在販売中でも購入が極めて困難になっているような、自分にとってレアなCDがターゲットですが、そんなのに出会えた時は最高です。
例えば、定価では購入をためらうCDでも、中古でディスカウントされていれば「買っても良いか」といった具合に、気持ちの切り替えを即座に行うのです。この辺が中古CD購入の際のある意味、恐ろしいところであり、醍醐味と言えるのかも知れません。珍品CDに出会ったら躊躇いは禁物です。即買いすることです。明日また来ても、他の人に買われて無いかも知れません。次回はないものと思わなければいけないのです。
こうした購入形態では、すでに知っているアーチストのCDでは、ハズレることはあまりありません。ところが、全く知らないアーチストのCDを買った場合はギャンブルで、これまでのところ残念ながら8割ほどがハズレに終わっています。
とは言っても、こうした失意と悲哀(?)を味わうケースは、新譜CD購入の場合でも同様にある訳で、失敗もある程度は許容範囲として考えておかなければなりません。
いずれにしても現在、中古CDショップで珍品やレア盤を探すひとときは、新星堂やタワレコに通いつめた、かつての青春時代と重なり、私にとっては至福の時間になっています。
探し物と言っても、自分にとって希少価値があって珍品であればよい訳で、決して高価である必要はないのです。
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ところでいま、家電量販店のオーディオコーナーを覗くと、CDデッキやスピーカーは片隅に追いやられ、メインステージを飾っているのはワイヤレスイヤホーンやヘッドホーンなどモバイル系の製品ばかりです。その売り場面積の広さにも驚かされますが、それよりも何よりも信じ難いのが、その製品たちの高額なことです。高いものでは、私がもっているトールボーイのスピーカーにも匹敵するほどの価格帯のイヤホーンたちが、普通に並べられているのですから驚きです。
いまの時代、電車の中はスマホを操作してるか、耳にイヤホーンを付けて音楽を聴いているようですが、音楽はモバイルで聞くというのが多数派なのでしょうか。あるいは、自宅の部屋でジックリ聴くようなことはないのでしょうか。この疑問は今回の投稿のメインテーマにもなっている訳ですが、私の時代によく言われた「ながら族」的な聞き方とも幾分趣を異にしているように感じます。何故なら、当時の「ながら族」は「自宅で」というのが大前提だったように思うからです。
あの頃の「ながら」は、勉強(友達のノートを写すことも含む)をしながら、あるいは何らかの作業をしながら、好きな音楽を聴くというスタイルを指していたと記憶しています。
しかしながら、いまの曲で「ながら」ができるのかどうかは、正直わたしには判断がつきません。何故なら、いまの曲と言っても、テレビから流れてくるのを聞いた程度で、曲名もグループ名も分からないのですからコメントする資格もない訳です。ですから、いまの曲が「ながら」に相応しいかどうかなど、偉そうなことは言えないのです。
ただこの際、誤解のないよう申し上げたいのは、「歩きながら」というのは当時の「ながら族」にも含まれていないということをお断りしておきます。
さて、家電量販店の片隅に追いやられた時代遅れ(?)のオーディオ製品を見ていると、何だか自分自身を投影しているようで気持ちは落ち込みます。ですから、最近はひとり淋しく足早にその場を立ち去ることが多くなりました。
中古ショップでは中古レコードが盛況と言っても、大勢はやはりモバイルなのだと思い知らされる昨今です。
そんな訳で、私の最近のミュージックライフはストリーミングと中古CDの宝探しを楽しんでいる状況と言えます。考えてみれば、新旧を取り混ぜての楽しみ方と言えるのかも知れませんが、以前のようなスピード感はないものの、CDが集まって行くことに変わりないようようです。
そして、冒頭でも触れたように、わが奥さんの顔を真面に見れない状況は相変わらず続きそうです(笑)。
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| chiến nguyễn báによるPixabayからの画像 |
何はともあれ、外出時、長時間の移動の際はモバイルで音楽を楽しむことはあっても、クラシックやジャズを改めて聴く場合は、自宅でスピーカーを前にしてジックリと聴くのが私の基本です。
そして、たっぷりと時間があるときは、レコードプレイヤーに針を下して楽しむのが最高だと思います。おいしいコーヒーを飲みながら・・・
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| forza1903によるPixabayからの画像 |
最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA





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