2024年12月6日金曜日

カスハラ、カスハラと言うけれど

筆者はかつて、ある公立中学校に苦情および改善要望の電話をしたことがあります。 部活帰りの学生が横一列に並んで歩道を塞いだ状態で下校している迷惑行為に対してでした。 こうした行為に遭遇したのは、その時が初めてではなく、それまでに何度もありました。
迷惑に感じていたのは、わたしひとりではなかったはずです。
  
その電話にでた教師らしき女性(以下A)は、 はじめは苦情の内容を黙って聞いていましたが、 「職員会議等で報告しておく」程度の極々事務的な回答で終わろうとしました。
こちらが「生徒の下校時には、数人の先生で見回りなどしてほしい」旨の要望をしたところ、 そのAは「わたしたちの仕事を増やせということですか」と切替してきました。 
まさかこの状況下で、このような言葉が返ってくるとは夢にも思わなかったので、その時は呆気にとられました。これではどちらが苦情を訴えてるのやら。
その間、謝罪の言葉もありませんでした。 それは日常の不満をこの時とばかりに吐き出すかのような攻撃的な口調にわたしには聞こえました。 

timelessearthによるPixabayからの画像



 かつて、民間の企業で働いていたわたしとしたら、たとえ原因が自分になくても、仲間、同僚にミスがあった場合、先ずは「申し訳ありません」の一言をと教えられてきましたので、そのAの対応は信じられませんでした。 

先ずこのAの場合、その時点で根本的に自分の立場をわきまえていないと言えます。
何か物事を履き違えているように感じました。

 昨今、先生方の長時間労働が社会問題になっていることぐらいこちらも承知の上です。
しかしながら、「そんな労働条件の問題は然るべきところへ訴えなさい。」と言いたいところです。自分たちの不満をわたしたち部外者にぶつけてくるとは、只々呆れるばかりでした。

一歩譲って、心情はわかるとしても、これでは同情はできません。
世間にはもっと過酷な労働を強いられている民間の職場がいくらでもあるのだと、このAを諭すような同僚(立派な先生)はいなかったのでしょうか。

最近のカスハラ問題のニュースを聞き、こんな以前のやり取りを思い出し、今回の投稿に至った次第です。 

カスハラ問題の問題点

AmbrozによるPixabayからの画像



 政府や東京都が取り組んでいるカスハラ問題が、より良い社会、住みやすい世の中を目指してカスハラをなくそうの主旨はわかるのですが、 これまでの情報では具体的にどうするのか正直、全体像が見えてきません。

この問題を考える場合、まず必要なのは顧客側の言い分と店員(職員)側の言い分の現状把握をすることだと思います。その後、それぞれの立場(言い分)の見直しが必要だと個人的には考えます。
そして、何よりも重要なことは、どうしてカスハラと言われるほどの大事(事件)に至ったかという、トラブルの原因把握だと思います。

従業員、職員の接客態度についても、この際クローズアップして社会問題化していただきたいものです。 多くのまっとうな社員さんが、一部の身勝手な顧客のために、悩んだり不快だったりと苦悩しているのは、 同じ経験を共有してきたものとして、実感として理解でます。

その反面、ほんの一部なのでしょうが接客態度がダメな店員や職員が存在するのも現実です。
また、日ごろの鬱憤をチョッとしたきっかけで爆発させる顧客がいるのも事実です。
カスハラの大半はこうした人たちが、引き起こしているといっても過言ではないと思います。多くの人間がひしめき合う世の中には、必ずこういった自分本位の人たちはいるものです。
 

前述のわたし自身の体験で考えてみると、前述のAにとっては、わたしの苦情電話を恐らくカスハラと捉えただろうと推察します。わたし自身もはじめは冷静でしたが、Aの言葉使い、対応の仕方から次第に言葉がキツくなっていったのは確かです。世の中のほとんどのトラブルがこんな始まりからエスカレートしていくのだろうと思いました。

StockSnapによるPixabayからの画像



現代社会においては、店員とお客の立場というのは、ところ変わればその立場が逆転することもあるでしょう。人間社会は持ちつ持たれつですから。そう考えたらお互いが相手の立場になって物事を考えてあげれば、つまらないトラブルも未然に防げるのではと、わたしはよく考えることがあります。

世の多くのトラブルは、ほんの一部の人たちの不注意や自己中、ワガママなどから発生するのではないでしょうか。交通事故、口論、はたまた事件然りです。
そして、そうした少数派のために多くの人たちが不便を強いられ、迷惑しているのです。 

実は、こうした少数派の問題は世の中にたくさん存在しているのです。
例えば、インターネットは、多くの人たちがネット検索やECなどでその便利さを体感し、恩恵を受けています。 その反面、一部の悪意ある人たちによって、ウィルスやスパムがネット上に仕掛けられ、わたしたちは余計な出費やさまざまな損害を被っています。 
本来なら、インターネットの利用に際しウィルス対策のためのセキュリティーソフトなど必要ないわけですが、 残念なことに、わたしたちは年間数千円から数万円の無駄なお金をそれに費やし浪費しているのが現状なのです。

harshaharsによるPixabayからの画像



 今回のカスハラ条例も、そうした一部の心無い人たちがいるために設けられるようなもの。
そう考えると、今回の条例の新設はまったく不合理でなりません。 さらに、その中身を見ると「カスハラ」の定義も不明瞭で理解し難い点が多々あります。 わたしの認識不足なら訂正しますが、すべて企業に対策を強いているだけのように思えるのですが。
 
従業員を守ること、お客を大切にすることは企業としては当然のことです。 これまではトラブルを起こした当事者たちだけに止まっていたのが、 企業や組織まで広がった点は評価しますが、全般的に不十分な対策に思えます。 



企業としては従業員に非はなかったか、お客は無理難題を店に投げかけていなかったかなど、 原点に立ち返って公平に検証すべきだと思います。
しかし、 企業への課題押し付けだけでは、体裁を繕った、みせかけの対応でしかなく防止策としては不十分だと思います。 


確かに、条例等施行され徹底されれば、抑止力としてカスハラは減るでしょうが、 苦情、怒りの程度のどこまでがカスハラに該当するのかといった線引きの問題が最も厄介で、極めて重要です。
そうでないと、今度は正当な苦情等が言いずらい社会になってしまうという危険性があるからです。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

その意味で、企業や組織での職員の接客教育は極めて重要に思います。
ですが、社員教育の徹底なんていって、接客慣用句をロボットのように繰り返されても、お客としては少しも有り難くありませんが。
反対に、馬鹿にされているように感じる顧客もいるかも知れません。
それでなくても最近はセルフレジなどが普及し、人と人との繋がりが益々疎遠になっているのですから、 せめて従来のレジなどでは血の通った会話がほしいものです。 こんな些細なことでも、毎日毎日の積み重ね、一人ひとりの努力が現状をより良い社会に変えていく原動力になると信じたいです。
 
要は思いやりです。相手の身(立場)になって如何に考えられるかが重要なのです。
 「我が身を抓って、人の痛さを知れ」とは数年前に亡くなったわたしの母親の口癖でしたが、 そうしたことわざ(教訓)を死語だ、古臭いと一蹴するのではなく再考してほしいと思います。 このフレーズは端的に人間関係の全てを物語っていて、世間を上手く渡る秘訣、キーワードであるとわたしは思っています。
そして、この機会に企業は「接客」について今一度見つめ直してほしいと思います。
お客様は神様でも仏様でも決してありませんが、企業(店)にとって大切な存在であることに変わりないはずです。

 バスや電車に乗ったとき、お年寄りに席を譲るなんてレベルの高いことからではなく、 入口出口では相手を優先するとか、道の真ん中で立ち話をしないなど極々当たり前のことから始めればいいのです。
 「謙譲の美徳」なんて、大袈裟な言葉が日本人の形容だった時代があったようですが、それも遥か遠い昔のこと。現代社会は誰もが何らかの不満を持っていて、誰もがストレスを抱えている、余裕のない、我先我先の世知辛い時代です。
だから、ちょっとした衝突が数倍の大きさになって事件化するのだと思います。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像



カスハラも素を正せば、些細なことが原因だったのかも知れません。そんなとき、各々が一歩譲って相手の気持ちになれば、カスハラに至らなかったケースもあったでしょう。
繰り返しますが、大事なのは思いやりです。それは極めて微力で即効性はないかもしれませんが、必ずや社会に有効であることを知ってほしいです。
現代のわたしたちは、マナーに関して極めて初歩的なことが、残念ながらできていないのだと思います。

こんなことを書くと「古い!」と一蹴されそうですが、敢えて言えば、わたしたちの親の時代、わたしが幼少の時代、それは日本がまだ暗い貧しい昭和の時代でしたが、世の中はもう少しマナー常識思いやりもあったように記憶します。

朝の何気ない「おはよう!」の挨拶やお客と店の主人とのチョッとした会話が、どれほどその日を明るくしてくれるかを、ほとんどの人は忘れているのです。
カスハラ問題は現代社会を見直す良い機会なのかも知れません。
たかが一歩、されど一歩です。
 
 最後までお読みいただきありがとうございました。 
from JDA

<追記>
正直、最近の米国はあまり好きではありませんが、ハワイなどでショッピングをした際、ほとんどの店員さん(無愛想な店員さんでも)が最後に「Have a nice day !」と付け加える、あの米国の慣習はわたしは大好きです。

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