2024年12月17日火曜日

ビル・エヴァンス(Bill Evans)、わたしの一番のお気に入りアルバムは?




Eva MichálkováによるPixabayからの画像

 


正直なところ、わたしは友人というものにそれほど執着はありません。
かと言って、これまでまったくいなかったという訳ではありませんが、数人いれば十分だと感じていました。
学生時代でも、打ち解けた友は2、3人で充分でした。
それは決して強がりだった訳ではありません。
当時は、バイトなどもしてましたから、只々自分の時間が欲しかったというのが、主な理由だったように思います。また、一人だと相手に気を使う必要がなく煩わしさも省けたからです。

こうしたわたし流のスタンスは社会人になっても相変わらずでしたが、ひとり例外がおりました。
彼といると前述のような「気を使う」ということがなかったからです。
それに彼(以下T君としましょう)はわたしのジャズ談義のお相手をしてくれる良きジャズ音楽アドバイザーという存在でもあったからです。

ここで、なぜT君のことを持ち出したかというと、T君の風貌、髪型(7:3分けの髪型)、服の好みなどがこれからお話しするビル・エヴァンス(Bill Evans)に似ていたからです。
それでいて、T君の一番のお気に入りはアート・ペッパーだったのですから笑えます。


Дарья ЯковлеваによるPixabayからの画像


ビル・エヴァンスを意識しているのかと、当時T君に問いただしたことが何度かありましたが、その度に苦笑いで誤魔化されてしまいました。


自宅にはわたしなど足元にも及ばない百万円単位のオーディオセットがあって、それがT君一番の自慢でした。なかでもスピーカーには一番コダワリがあったようで、メーカーは忘れましたが、それは途轍もなく大きな箱(?)でした。その上、T君は根っからのレコード派で、一時CDを集めたこともありましたが、ある時「CD全部処分した!」とあっけらかんと言っていたのがとても印象に残ります。
そう、そんなT君は不幸にも50代前半に、若くして亡くなってしまったのですが、それ以降ビル・エヴァンスのジャケットを見るたびにT君のことを思い出します。



PexelsによるPixabayからの画像


最近では、当時T君とよく行ったDISK UNIONに立ち寄ることも多くなり、そこにいるとレコードを一枚一枚吟味するあのT君の後ろ姿が懐かしく思い出されます。


前置きはさておき、本題に入りましょう。

今回はビル・エヴァンスの数ある名盤の中で、わたしの一番のお気に入りアルバムの紹介です。

振り返るに、わたしはジャズというジャンルの音楽をかなり昔から聴いていますが、果たして「誰が一番好きなのだろうか?」、あるいは「どのアルバムを一番聴いてきたのか?」など改めて真摯に考えたことなどなかった気がします。
人によっては、そんなこと無意味と一蹴されそうな事なのかも知れませんが、人間年齢を重ね、ある時期を迎えると、そんな他愛無いことを考えたくなるものなのです。
ですから、お付き合いいただける方は、その点を踏まえてこの後をお読みいただければと思います。




そんな訳で、結論から申し上げれば、エヴァンスのアルバムでわたしの一番のお気に入りは、1977年スタジオ録音の「You Must Believe In Spring」です。



< You Must Believe In Spring >


Trio
Bill Evans(p)
Eddie Gomez(b)
Eliot Zigmund(d)

< You Must Believe In Spring >
  • 01  B Minor Waltz
      マイナー・ワルツ(エレーンに捧ぐ)
  • 02  You Must Believe In Spring
      ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング
  • 03  Gary's Theme
      ゲイリーのテーマ
  • 04  We Will Meet Again
      ウィ・ウィル・ミート・アゲイン(兄ハリーに捧ぐ)
  • 05  The Peacocks
      ピーコックス
  • 06  Sometime Ago
      サムタイム・アゴー
  • 07  Theme From M*A*S*H
      マッシュのテーマ
  • 08  Without A Song
      ウィズアウト・ア・ソング (ボーナス・トラック)
  • 09  Freddie Freeloader
      フレディ・フリーローダー (ボーナス・トラック)
  • 10  All Of You
      オール・オブ・ユー (ボーナス・トラック)



若い頃のわたしは、コルトレーンやマッコイ・タイナーのような楽器を全開で演奏するようなプレイヤーが比較的好みでした。しかしながら、それも歳とともに薄れ、激しいものからシットリとした演奏が心地よく思えるようになったのです。

音楽思考も年齢とともに「動から静」へと移り変わるのは極々自然なことなのかも知れません。その結果、行き着いたのがエヴァンスだったという人も多いのではないでしょうか。
そんなわたしもその一人です。

極めて一般的と言えばそうなんですが、へそ曲がりなわたしにとっては「一般的」に収まることは、多少屈辱に思えることがありますが、最近では割り切れるようになってきました。
そんな変化に家族からは、そのうち「演歌が好きになるのでは?」と揶揄されることもあります。(演歌ファンの方すいません)
余談ですが、実は「津軽海峡冬景色」など以前よりは違和感なく聞けるようになったのも事実です。


話を元に戻します。
さて、そんなわたしも当然ジャズファンでしたからビル・エヴァンスのレコード、CDは以前からそこそこ持ってはいましたが、それも「PORTRATE IN JAZZ」、「INTERPLAY」、「GREEN DOLPHIN STREET」などなど極めて代表的なものばかりでした。
そんな時、サブスクのストリーミングでアルバム「You Must Believe In Spring」を聴き、エラい衝撃を受けました。それは全身からすべてのチカラを抜き取られたような衝撃でした。


< PORTRAIT IN JAZZ >

< INTERPLAY 


< GREEN DOLPHIN STREET


確かに、それは今まで自分が知っていたエヴァンスではあったのですが、その時は更なる高みに位置するエヴァンスに感じられました。

そして、「もっと早くにこのアルバムに出会えていたら・・・」と当時は後悔の念に駆られたことをいまでも覚えています。
それ以来、ビル・エヴァンスを再認識、再評価したのです。

エヴァンスファンの方からすると「何、今頃言ってんの!」とバカにされそうですが、「まだまだ自分は聴き足りないな!」と痛感しているところです。


言い訳がましいですが、サンタナはじめ70年代のロックやクラシックなどを二股三股で愛好しているわたしとしては、どうしてもそれぞれが手薄になってしまいます。村上春樹氏のようには到底いきません。

ジャズの世界はクラシック同様に奥が深くて、わたしの知らない第2第3の「You Must Believe In Spring」のような名盤が埋もれているのかも知れませんね。
その意味ではワクワクしています。


思い返せば、いっとき、毎日このアルバムをかけていた時期がありました。
オーディオ装置を前にしてジックリと聴き込むもよし、パソコンを前にして何か作業をしながらでもよしと、エヴァンスのアルバムは自由自在なところが幅広いというか、奥深いと思います。そんな点がエヴァンスのアルバムのひとつの特徴であり魅力なのかも知れません。
中でもこのアルバムは最高に充実した内容だと思います。


タイトル曲の「You Must Believe In Spring」はもちろんのこと、すべての楽曲が美しいメロディーで纏まっていて、なんとも贅沢なアルバムです。
強いて言えば、わたし的には9曲目の「Freddie Freeloader」は全体のバランスからするとチョッと異質に思えます。
しかし、気分転換という意味ではアクセントになります。
まあ、8、9、10曲目がボーナス・トラックで追加されたということを考えれば当然なのですが。
いずれにしても、このアルバムの魅力は選曲の素晴らしさだと思います。

演奏スタイルがどうのとか、テクニックがどうのといった専門的で高度なことは、わたしには分かりませんが、エヴァンスらしさ、聴きやすさ、ジャズ音楽の魅力を誰でも感じ取れるアルバムだと自信をもって推奨できます。

ちなみに、キース・ジャレットのソロアルバム「The Melody At Night With You」は、
エヴァンスのこのアルバムを意識しインスパイアーされたのではと、個人的には思っています。


キース・ジャレットのソロアルバム
< The Melody At Night With You >


調べてみると、「You Must Believe In Spring」というアルバムは1977年収録のワーナー移籍第一弾のアルバムとして発売されています。エヴァンスのディスコグラフィーデータで年代順に見てみると、彼は1980年9月に亡くなっていますから、彼の晩年に近い作品と言って良いかと思います。

注目したいのは、このアルバムが制作されたのがエヴァンスのトレードマークである、あの黒縁眼鏡、ネクタイ、7:3に分けたヘアースタイルというお馴染みの正装から一転して、長髪で口髭、顎髭をはやしたラフなスタイルに変身した時代の作品ということです。
「PORTRAIT IN JAZZ」のジャケット写真の彼ではないのです。


< PORTRAIT IN JAZZ >

トニー・ベネットとの1975年のアルバム


さらに驚きなのは、この時期のエヴァンスは若かりし頃からの薬物依存の影響で、肉体的、精神的に限界に近い状態だったことです。
長年の薬物接種の影響で、指の動きもままならなず、体力的にも演奏活動は不可能ではと周りからも危惧され、当時入院という提案もあったようです。
髭などをはやし髪を長髪にしたのも、病状の悪化による見た目の変化を隠すためだったと言われています。
しかしながら、彼はその後も演奏活動、アルバム制作を続けていきます。

タラレバ論はあまり好みませんが、もしもエヴァンスがここで周りの人の提案を受け、入院治療をしていたら、わたしたちはこの名盤に出会えていなかったかも知れません。その代わりにもっと多くのエヴァンスのアルバムを聞けたかも知れない、なんて考えることが無意味でキリが無くタラレバ論を嫌うところなんですが・・・


Anindita Erina KhalilによるPixabayからの画像


さて、上記でこの「You Must Believe In Spring」というアルバムが、まず選曲が素晴らしいということに触れましたが、更につけ加えると全体を通して物静かでどことなく儚さを感じるわたし好みのアルバムであるということです。
このアルバムが晩年の作品であることを知ると頷ける部分は多いのですが、前述のようなボロボロの状況下で制作されたことを思うと息が詰まるほどに切なく感じます。

エヴァンスは人一倍ジャズ音楽を愛し、追求し、演奏し続けました。そしてそんな彼に常に付きまとったのが薬物でした。どうして彼は人生のほとんどの時間を、自虐的とも思える程に薬物と関わりを持ったのでしょうか。ジャズミュージシャンには薬物と関わり自ら破滅していった人は多々います。前例もたくさん知っていたはずです。薬物が自身の健康を害し、人生を短縮することは充分にわかっていたはずなのに、なぜ彼らは同じ道を辿ってしまうのでしょうか。
そこが、わたしのような凡人には理解し難いところなのですね。

自身の体力の衰えを感じつつも、なおも薬物に傾倒し演奏活動も続けた晩年のエヴァンス。
このアルバム「You Must Believe In Spring」は数ある彼のスタジオ録音の中でも、間違いなく最高位に位置するアルバムだとわたしは確信しています。

身内の度重なる死と自身の病を背景にしながらできたこのアルバム。
アルバムタイトルは、そんな真っ暗などん底の現状から微かな希望の光さえ見出せたらというエヴァンスの期待が「Believe」という単語に象徴されているように、稚拙なわたしには思えてなりません。

そして、この見事なアルバムが世間一般に言われているところの、薬物による一時的な精神の興奮などによってできたものではないと信じたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
そして、この投稿が前述のT君へのトリビュートとなれば幸いです。
from JDA








2024年12月6日金曜日

カスハラ、カスハラと言うけれど

筆者はかつて、ある公立中学校に苦情および改善要望の電話をしたことがあります。 部活帰りの学生が横一列に並んで歩道を塞いだ状態で下校している迷惑行為に対してでした。 こうした行為に遭遇したのは、その時が初めてではなく、それまでに何度もありました。
迷惑に感じていたのは、わたしひとりではなかったはずです。
  
その電話にでた教師らしき女性(以下A)は、 はじめは苦情の内容を黙って聞いていましたが、 「職員会議等で報告しておく」程度の極々事務的な回答で終わろうとしました。
こちらが「生徒の下校時には、数人の先生で見回りなどしてほしい」旨の要望をしたところ、 そのAは「わたしたちの仕事を増やせということですか」と切替してきました。 
まさかこの状況下で、このような言葉が返ってくるとは夢にも思わなかったので、その時は呆気にとられました。これではどちらが苦情を訴えてるのやら。
その間、謝罪の言葉もありませんでした。 それは日常の不満をこの時とばかりに吐き出すかのような攻撃的な口調にわたしには聞こえました。 

timelessearthによるPixabayからの画像



 かつて、民間の企業で働いていたわたしとしたら、たとえ原因が自分になくても、仲間、同僚にミスがあった場合、先ずは「申し訳ありません」の一言をと教えられてきましたので、そのAの対応は信じられませんでした。 

先ずこのAの場合、その時点で根本的に自分の立場をわきまえていないと言えます。
何か物事を履き違えているように感じました。

 昨今、先生方の長時間労働が社会問題になっていることぐらいこちらも承知の上です。
しかしながら、「そんな労働条件の問題は然るべきところへ訴えなさい。」と言いたいところです。自分たちの不満をわたしたち部外者にぶつけてくるとは、只々呆れるばかりでした。

一歩譲って、心情はわかるとしても、これでは同情はできません。
世間にはもっと過酷な労働を強いられている民間の職場がいくらでもあるのだと、このAを諭すような同僚(立派な先生)はいなかったのでしょうか。

最近のカスハラ問題のニュースを聞き、こんな以前のやり取りを思い出し、今回の投稿に至った次第です。 

カスハラ問題の問題点

AmbrozによるPixabayからの画像



 政府や東京都が取り組んでいるカスハラ問題が、より良い社会、住みやすい世の中を目指してカスハラをなくそうの主旨はわかるのですが、 これまでの情報では具体的にどうするのか正直、全体像が見えてきません。

この問題を考える場合、まず必要なのは顧客側の言い分と店員(職員)側の言い分の現状把握をすることだと思います。その後、それぞれの立場(言い分)の見直しが必要だと個人的には考えます。
そして、何よりも重要なことは、どうしてカスハラと言われるほどの大事(事件)に至ったかという、トラブルの原因把握だと思います。

従業員、職員の接客態度についても、この際クローズアップして社会問題化していただきたいものです。 多くのまっとうな社員さんが、一部の身勝手な顧客のために、悩んだり不快だったりと苦悩しているのは、 同じ経験を共有してきたものとして、実感として理解でます。

その反面、ほんの一部なのでしょうが接客態度がダメな店員や職員が存在するのも現実です。
また、日ごろの鬱憤をチョッとしたきっかけで爆発させる顧客がいるのも事実です。
カスハラの大半はこうした人たちが、引き起こしているといっても過言ではないと思います。多くの人間がひしめき合う世の中には、必ずこういった自分本位の人たちはいるものです。
 

前述のわたし自身の体験で考えてみると、前述のAにとっては、わたしの苦情電話を恐らくカスハラと捉えただろうと推察します。わたし自身もはじめは冷静でしたが、Aの言葉使い、対応の仕方から次第に言葉がキツくなっていったのは確かです。世の中のほとんどのトラブルがこんな始まりからエスカレートしていくのだろうと思いました。

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現代社会においては、店員とお客の立場というのは、ところ変わればその立場が逆転することもあるでしょう。人間社会は持ちつ持たれつですから。そう考えたらお互いが相手の立場になって物事を考えてあげれば、つまらないトラブルも未然に防げるのではと、わたしはよく考えることがあります。

世の多くのトラブルは、ほんの一部の人たちの不注意や自己中、ワガママなどから発生するのではないでしょうか。交通事故、口論、はたまた事件然りです。
そして、そうした少数派のために多くの人たちが不便を強いられ、迷惑しているのです。 

実は、こうした少数派の問題は世の中にたくさん存在しているのです。
例えば、インターネットは、多くの人たちがネット検索やECなどでその便利さを体感し、恩恵を受けています。 その反面、一部の悪意ある人たちによって、ウィルスやスパムがネット上に仕掛けられ、わたしたちは余計な出費やさまざまな損害を被っています。 
本来なら、インターネットの利用に際しウィルス対策のためのセキュリティーソフトなど必要ないわけですが、 残念なことに、わたしたちは年間数千円から数万円の無駄なお金をそれに費やし浪費しているのが現状なのです。

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 今回のカスハラ条例も、そうした一部の心無い人たちがいるために設けられるようなもの。
そう考えると、今回の条例の新設はまったく不合理でなりません。 さらに、その中身を見ると「カスハラ」の定義も不明瞭で理解し難い点が多々あります。 わたしの認識不足なら訂正しますが、すべて企業に対策を強いているだけのように思えるのですが。
 
従業員を守ること、お客を大切にすることは企業としては当然のことです。 これまではトラブルを起こした当事者たちだけに止まっていたのが、 企業や組織まで広がった点は評価しますが、全般的に不十分な対策に思えます。 



企業としては従業員に非はなかったか、お客は無理難題を店に投げかけていなかったかなど、 原点に立ち返って公平に検証すべきだと思います。
しかし、 企業への課題押し付けだけでは、体裁を繕った、みせかけの対応でしかなく防止策としては不十分だと思います。 


確かに、条例等施行され徹底されれば、抑止力としてカスハラは減るでしょうが、 苦情、怒りの程度のどこまでがカスハラに該当するのかといった線引きの問題が最も厄介で、極めて重要です。
そうでないと、今度は正当な苦情等が言いずらい社会になってしまうという危険性があるからです。

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その意味で、企業や組織での職員の接客教育は極めて重要に思います。
ですが、社員教育の徹底なんていって、接客慣用句をロボットのように繰り返されても、お客としては少しも有り難くありませんが。
反対に、馬鹿にされているように感じる顧客もいるかも知れません。
それでなくても最近はセルフレジなどが普及し、人と人との繋がりが益々疎遠になっているのですから、 せめて従来のレジなどでは血の通った会話がほしいものです。 こんな些細なことでも、毎日毎日の積み重ね、一人ひとりの努力が現状をより良い社会に変えていく原動力になると信じたいです。
 
要は思いやりです。相手の身(立場)になって如何に考えられるかが重要なのです。
 「我が身を抓って、人の痛さを知れ」とは数年前に亡くなったわたしの母親の口癖でしたが、 そうしたことわざ(教訓)を死語だ、古臭いと一蹴するのではなく再考してほしいと思います。 このフレーズは端的に人間関係の全てを物語っていて、世間を上手く渡る秘訣、キーワードであるとわたしは思っています。
そして、この機会に企業は「接客」について今一度見つめ直してほしいと思います。
お客様は神様でも仏様でも決してありませんが、企業(店)にとって大切な存在であることに変わりないはずです。

 バスや電車に乗ったとき、お年寄りに席を譲るなんてレベルの高いことからではなく、 入口出口では相手を優先するとか、道の真ん中で立ち話をしないなど極々当たり前のことから始めればいいのです。
 「謙譲の美徳」なんて、大袈裟な言葉が日本人の形容だった時代があったようですが、それも遥か遠い昔のこと。現代社会は誰もが何らかの不満を持っていて、誰もがストレスを抱えている、余裕のない、我先我先の世知辛い時代です。
だから、ちょっとした衝突が数倍の大きさになって事件化するのだと思います。

Engin AkyurtによるPixabayからの画像



カスハラも素を正せば、些細なことが原因だったのかも知れません。そんなとき、各々が一歩譲って相手の気持ちになれば、カスハラに至らなかったケースもあったでしょう。
繰り返しますが、大事なのは思いやりです。それは極めて微力で即効性はないかもしれませんが、必ずや社会に有効であることを知ってほしいです。
現代のわたしたちは、マナーに関して極めて初歩的なことが、残念ながらできていないのだと思います。

こんなことを書くと「古い!」と一蹴されそうですが、敢えて言えば、わたしたちの親の時代、わたしが幼少の時代、それは日本がまだ暗い貧しい昭和の時代でしたが、世の中はもう少しマナー常識思いやりもあったように記憶します。

朝の何気ない「おはよう!」の挨拶やお客と店の主人とのチョッとした会話が、どれほどその日を明るくしてくれるかを、ほとんどの人は忘れているのです。
カスハラ問題は現代社会を見直す良い機会なのかも知れません。
たかが一歩、されど一歩です。
 
 最後までお読みいただきありがとうございました。 
from JDA

2024年8月27日火曜日

パリ五輪で思ったこと

早いものでパリ五輪が終わって、もう二週間以上が経った。
今回の五輪では海外開催の五輪としては、日本が獲得したメダル数は金メダル、総メダル数ともに最多だったとのこと。これまで最多だった2004年アテネ五輪の数を更新したらしい。


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わたしはチョッとへそ曲がりなところがあって、上のようなニュースを聞いても素直に喜べないところがある。それはどこに原因があるのかと考えてみると、思いつくのは「わたし自身がへそ曲がりだからだ」と言うことに結論付いた。

と言った低俗な冗談はさておき、わたしには予てから五輪に関して腑に落ちないことがあった。それは大会期間中のテレビあるいは新聞等マスコミの報道の在り方についてだ。

例えば、納得できない点としていくつか揚げてみよう。

  1. 日本の選手ばかりが紹介(特にメダル候補の選手中心)され、他の国の有力選手の紹介などが極めて少ない。五輪開催前に各競技種目の世界の有力選手紹介的な番組を数日間かにわたって事前に放送すべきと思う。大会を盛り上げる意味でも。
  2. ある競技で外国選手が金メダルで日本の選手が2位あるいは3位などのケースで、新聞等の報道は日本選手の写真を大きく紹介するが、金メダルの外国選手の写真がないなど。
    酷いケースでは1位の外国選手の名前すら紹介されないケースもある。
  3. 競技そのものよりも、競技後のインタヴューに割かれる時間が長く、日本の選手が金メダルを取った日などのニュースでは、各テレビ局が何度もそのインタヴューを放送する。
    疲れている選手に気の毒に感じた。
    メダルを取った選手ならまだしも、そうでない残念だった選手に対して、果たして競技直後のインタヴューは必要なのか。個人的には酷な気がしている。
  4. 番組進行の司会者の喋りが拙くて、視聴に耐えない番組が多かった。
    芸能タレントを使っての番組構成は必要ないと思う。
    某国営放送に至っては決定的場面でチャンネル切り替え等あって、緊張感、盛り上がりを削がれた。
以上が主な指摘だが、皆さんもいくつか頷ける点があるのでは?
全般的に「日本!日本!」といった気運が放送全般に亘って露骨に感じられて、不快だった。
新聞報道でも同じことが言えるが、日本人なら日本の選手を応援するのは当然のことだが、その程度がすぎる。外国選手を応援するという選択肢があって然りと思うが、報道におけるフェアーな精神は皆無だった


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相変わらず日本人選手一辺倒が際立つ報道だった。それほど日本選手を讃えたいのなら、国体をもっとアピールすべきだと思う。
因みに国体は「国民スポーツ大会(国スポ)」に名称を変更するそうだが、どこかの知事さんが開催に消極的との報道もありマイナー化を如何に防げるかが今後の課題。マスコミ業界は「オリンピックの精神」を今一度思い起こし、オリンピックの基盤を支える「国民スポーツ大会(国スポ)」をもっと盛り上げる工夫と努力、そして宣伝アピールをすべきだと思う。
スポンサーがつかないものには目も向けないといった姿勢が垣間見える。

また、芸能タレントを使っての番組の盛り上げは気持ち的にはわかるが、わたしたち(少なくともわたし)にとっては、純粋にスポーツ(鍛えられた世界の一流プレーヤーの競技)を堪能したいので、余計な人はいらないと思うし、盛り上げる手段があまりに安易すぎる。
タレントさんに支払うギャラがあるなら、五輪の事前取材費にその分を当てていたき、外国選手の事前情報などを紹介いただければ、観戦の時に役立つと思うのだが。
ジャニーズ問題で一時的にこうした趣向は下火になったようだが、「ほとぼり冷めれば・・・」で、元に戻るのも時間の問題だろう。


さて、わたしは今回、LIVE放送で競技を観たのは少なかった。これまでの五輪の中でも一番少なかったような気がする。観たのはほとんどが録画放送、ニュースなどでだったので、観戦できた競技も限られたもの(成績が良かった日本人選手の競技)ばかりで、多くを競技を観れなかった。
そのため、競技中のハラハラしたあの緊張感や迫力はリアルタイムほどは伝わらなかった。
時差の問題があるので致し方ないことだが、その分昼間などの時間帯に競技ハイライトを偏りなく放送してほしかった。見落とした競技(特に陸上)もたくさんあったので、いつもなら活躍した外国選手の名前も五輪期間中に覚えたのだが、今回はあまり覚えていない。




競技に対する熱意関心はあっても、なにしろ老人になると日付を跨いでの深夜は年々キツイものがある。観戦か睡眠の狭間で、睡眠が優ってしまったようだ。
若いころはテニスのウィンブルドンなど四大大会で、ボルグ、マッケンロー、レンドルなどのトッププレイヤーの試合をいつも夜更かしして観ていたものだが、やはり歳には勝てない。
あゝ!若かりし遠き時代の事になりにけり。
無理は禁物、いまは命あっての物種だからネ💃💃

ところで、今回の大会で最も素晴らしいと思ったのは、最終日前日と最終日のマラソン中継だった。歴史あるパリ市街の荘厳で美しい光景を見ながらのテレビ観戦はとても感動的だった。
兎角、五輪というと開会式、閉会式が注目されがちだが、今回のパリ五輪は各種競技とあのマラソン中継だけでも充分にわたしたちを感動させてくれたと思う。
世界の全選手、大会関係者の皆さん、お疲れ様でした。

できることなら、あの開会式、閉会式に掛けた費用を明日の食事もままならない世界各地の人たちに回せたらと切に願うばかりだった。


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いまの世界は、建前では慈愛、友愛、博愛といった厚意の意味合いの語彙が様々な場で叫ばれているが、その実体は必ずしもその言葉の意味通りには動いていない。ウクライナとロシア、アラブ諸国の紛争、アフリカ地域の貧困、難民問題などを思えば一目瞭然である。
多くの国で、宗教や考え方の相違による対立や自国の経済情勢の悪化から難民受け入れに消極的になっていったり、かつての植民地政策的な動きも垣間見られ、慈善活動、救援活動などの相互扶助活動は思いのほか進んでいない。
個人に置き換えたら、みんな自分のことで精一杯で、他人のことは気にしていられないというのが実情なのかもしれない。

今回のパリ五輪はあらゆる面で配慮された地球にやさしい大会だったと思う。しかしながら、わが国の自国一辺倒の報道形態を考えると、公平、平等という点で人間に優しかったかどうかわが国に限って言えば疑問が残る。
世界の視点(各国の報道の仕方など)がどうだったのかについては、わたし個人では知る由も無いが、わが国のような偏見に満ちたスタンスでの報道ではなかったと信じたい。


stokpicによるPixabayからの画像


ここへ来て五輪の理念を今更持ち出すのは気恥ずかしいが、その精神はスポーツを通じて技術を競い合うことであり、相互理解である。決して対立することではないはずだ。
その意味で、今回の我が国の五輪報道は全般的に自国贔屓が目立ち、五輪の精神にそぐわなかったようにわたし個人は感じた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

<追伸>

先日、テレビの放送では満遍なく競技を堪能できなかったので、せめてパリ五輪の総集編雑誌でもと、行きつけの書店へ買いに行った。
さて、表紙と内容をザッと見てご遠慮することにした。
表紙には「永久保存版」と大きく銘打っていたが、これにても日本人選手ばかりの特集かと呆れ果て帰宅した。いっその事、「日本選手大活躍版」とでもすれば良かったのにと、帰路の途中思った次第だ。

from JDA

2024年3月31日日曜日

春到来と思いきや(いまどきの天候は・・・)


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やっとのことでカメラにおさめた<メジロ>

数日前、我が家の狭小な庭にメジロが飛んできた。

そして、別の日に我が家に隣接する雑木林から聞こえてきたのが、ウグイスの鳴き声だった。

こちらは鳴き声だけで姿は見えない。

でも、なんとも嬉しい訪問ではないか。

長い冬がようやく後方に退き、待ちに待った春がようやく前面に出て来た気配を感じた。



今年2024年は、元日早々にあのような悲しい出来事(能登半島地震)が起こり、年初めから日本中が出鼻を挫かれたような状況だった。

それ故に、明るく暖かな春の到来は例年にもまして、誰もが待ち望んでいたはずだ。


そんなもろもろを考えつつこの記事を書いていると、テレビの天気予報によれば、ここ数日また寒さが戻ってくるとの報道。

なんとも落ち着きのない天候ではないか。

人間社会も慌ただしいが、自然界はそれにも増して忙しいようだ。

そのため気象庁、マスコミの桜開花予想は、二転三転したようである。

わたしは桜にはあまり関心がないので、一向に構わないのだが・・・


かねてから、我が国には三寒四温という洒落た言い回しがあるけれど、

昨今の気まぐれ天気は、果たして三寒四温と呼べるのだろうか。

わたしはそんな優雅なものではないような気がする。

地球温暖化による異常気象は、こんな些細なことが兆しとなって、

大きな現象出来事へとつながっていくのかも知れないと不安になる。


🔷


ところで、仕事をリタイアするまでは、わたしは春に関してはあまり良い印象がない。

春は新たな出発のとき、新たな出会いのときなど胸はずむ季節というのが一般的で、とりわけ日本では年度のはじめということもあって、明るいイメージとして捉えられている。

しかし個人的にはあまり好きな季節ではない。

過去を振り返ってみても、わたしには苦い思い出、辛い思い出ばかりだ。

それでも、世間一般では四季の中で一番人気と言えば、やはり春なのだろう。



サラリーマンにとっては、人事異動や転勤など人生における岐路を経験するのもこの季節だ。

再スタートのときであり、ある人にとってはチャンスと捉えることもできるのだろうが、残念ながら現実は厳しい。

予期せぬ人事、想定外の遠方への転勤など、試練となることが多かったように思う。

通いなれた仕事場、打ち解けた同僚や顧客などとの別れ。

春はあらゆる面で「ふりだし」に戻されるのだから。



新たなスタートのとき
Jan VašekによるPixabayからの画像



この時期、人事異動、転勤を言い渡された多くのサラリーマンは、悲哀や虚しさを味わうかも知れない。人事異動や転勤でなくても担当替えや配置換えでも同様である。

それはアルベール・カミュの随想「シーシュポスの神話」(*1)の神髄(不条理の哲学)にも似た体感である。

「シーシュポスの神話」自体はわずか10ページほどの物語だが、インパクトは強烈だったのを覚えている。

勿論、わたしもその不条理を何度か体感したひとりだ。

不条理が度重なると、考え方はやがてマイナス思考へと傾く。

孤独を感じるのもこの季節だ。

その昔、石川達三の小説「青春の蹉跌」が話題になったことがあるが、この物語も不条理が起点になっている。いつの時代も同じなのかも知れない。

春の厳しい一面である。


ところで、春はまた風の強い季節でもある。

これもわたしが春を嫌う理由の一つだ。


実は、わたしは幼少の頃から風が大嫌いだった。

当時、病弱だったわたしは、母親に背負われての病院通いが多かったが、

あるとき向かい風に息ができなくなったことがあった。

その後、同じ経験を何度かした。

それがトラウマとなり、今だに風に対しては人一倍神経質になってしまう。

風が吹けば埃が舞うし木々は揺れて慌ただしい。春の今頃は花粉も加わって最悪である。


テレビでは連日、桜の開花がどうのこうのと、天気予報の大半を割いて桜の話題ばかりだが、「もっと報道すべきことないの?」とほどほどウンザリでため息ばかりだ。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と、いまではほとんど聞かなくなった諺があるけれど、いまのわたしの心境は「春憎けりゃ桜まで憎い」と言ったところか。



かつて、車で外回りの仕事をしていたころ、この時期決まってカーラジオから流れてくるのがキャンディーズの「春一番」だった。

そんなとき、わたしがする事はただひとつ、カーラジオの局を変えることだった。

この曲はいわゆる春の定番ソングだが、これにはわたしが忌み嫌う「春」も「風」も入っているから拒否反応は当然。

わたしは当時、そんな安易なラジオ番組にうんざりしていたことを、この投稿を書きつつ思い出し苦笑いである。

果たしてこの曲は今もなお流れているのだろうか。


そんな訳で、桜よりも、キャンディーズの「春一番」よりも、

メジロやウグイスの鳴き声の方がわたしにとっては歓迎すべき春なのだ。



鳴き声はすれど、すがたを捉える事はできない<ウグイス>
こちらはネットより拝借
No-longer-hereによるPixabayからの画像



とは言え、春は出会いの季節、希望の春でもある。

これまで述べてきたことは”いちオッサン”のたわい無い愚痴と偏見と軽く聞き流していただきたい。

すべては前向きに行こう。

前述のアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」の主眼は、わたしの勝手な解釈だが「不条理から目を逸らすな、立ち向かえ」と読み取った。

壁を逃避したり、壁に押し潰されてはいけないのだ。

何はともあれ、この春新たな門出を迎える学生、新入社員のみなさんには、輝かしい未来と素晴らしい出会いがありますように!



気が付けば今日もまた、ウグイスが「ホーホケキョ」とクリアな音色で鳴いている。

シーズンはじめはおぼつかなかった”さえずり”も、最近ではすっかり板につき安定した音程である。

何とも逞しいではないか。


最後までお読みいただきありがとうございました。

from JDA