「稼ぐ国立博物館へ 財務省意向」の新聞記事から見えること。
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私は年に十数枚だが、水彩画を描いている。出来ればもっと描きたいところだが、日常生活のなかで家事手伝いをこなし、こうしたブログ投稿を書いたり、本を読んだり、音楽を聴く時間などを考えると、現状の十数枚が適当なところと考えている。
ただ、達成感,充実感ということで言えば、水彩画を描くひとときは私の自由時間の中で、一番満たされた時間と言えるだろう。とにかく、絵画は出来上がりが一目で確認できるところが判りやすい。
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| こんな絵が描けたら・・・最高! |
テレビや新聞をみると、戦争やテロをはじめ自然災害や殺人傷害、詐欺、汚職事件、ガソリンや食料品などの価格高騰などなど、例を挙げれば切りがないほど、私たちにとって暗い出来事ばかりが目立つ。値上げ値上げでお金だけがドンドン出て行く一方で、ストレスだけが容赦なく溜まるばかりの悪循環である。
そんな時、100%ストレス解消にはならないが、私は水彩画を描くことにしている。目新しいことではないが、そうしている間だけでも嫌なことを忘れられるからだ。ほんの少しでも芸術を嗜むということは、そうした効果をもたらしてくれる訳だ。
だが昨今、学校教育に於いて、美術、音楽、家庭、体育などの科目が軽視されていると聞く。その中でも特に美術、音楽といった分野への風当たりが、ことさら強いようだ。
そうした傾向の現れなのか、先日、次のような見出しの新聞記事を見つけた。
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去る3月9日の朝日新聞朝刊の第一面に 「稼ぐ国立博物館へ 財務省意向」と題した記事である。さらに、副題には「収入不足なら『再編』値上げや『二重価格』要求」とあった。
この見出し及び記事内容が意味するところは、平たく言えば「国立の博物館、美術館は採算が合うように入場チケット収入を増やしなさい、出来なければ館の再編や価格値上げ等を検討しなさい」というメッセージと捉えた。
この内容は、文化庁(文部科学相が所管)が国立博物館・美術館(独立行政法人が運営)に対して伝えた「お達し」のようなもので、各法人が5年間の運営方針を策定するための中期目標として示した内容とのこと。
ただし、この目標が未達の場合の対応が、各所轄で異なっている。
例えば、「再編は閉館を想定したものではない」とする文化庁に対して、財務省は閉館や統合もあり得ると言った見解の相違が両者の間にはある。
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いずれにしても、既存の芸術関連施設の縮小や入場料の値上げ等、私たち利用者にとって穏やかでない事態が差し迫っていることに変わりはない訳だ。
そもそも、国立の博物館、美術館は展示会開催などで得る自己収入(入場料収入など)と国費によって運営されている。ところが、今後5年の間に常設展、企画展にかかる費用の65%を入場料で賄い、後々は100%国費に頼らない運営を、というのが今回の財務省等の意向のようだ。要するに、「博物館、美術館は独り立ちしなさい」と言うことである。
国立がこうした状況になれば、やがてはその下部の公立も「右に倣え」は充分に考えられることだろう。
この新聞記事を読んで、一番に感じたのは当局の無責任さだ。
それは、チケット代の値上げや、国内在住者とそうでない人の料金に差をつける「二重価格」が導入されれば、現状よりも来館者が減るのは誰が考えても判るはずだ。現実的に増収など不可能なことは明白なのに、それを敢えて提示してくる、そこが無責任だと言うのだ。
チケット代の値上げと「二重価格」導入が与える印象はマイナスでしかない。
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私が「衣食住」という熟語を知ったのは、小学生の時だっただろうか。
その優先順位は、漢字の並び通りではなく「食、衣、住」かも知れないが、この3つの要素のいずれが欠けても、私たちは生きて行けない。「衣食住」とは私たちの生活基盤そのものであることを教わったはずだ。
確かに、上記の3要素に入らない芸術という要素は、私たち人間にとっては究極のところ、無くても生きて行けるだろう。しかしながら、歴史を学べば、芸術的要素は常に人間の生活の傍らにあって、生きる喜びや精神的安らぎを人々にもたらしてくれたことは理解できる。
人格形成や豊かな人間性を育むことにも、大いに影響したことだろう。
だが、別の視点で歴史を紐解くと皮肉なことに、戦争や大規模な自然災害といった有事の際には、芸術は真っ先に疎かにされ犠牲となる要素でもあった。
ビジネスの分野でも、最近では絵画や音楽の素養が求められて時代である。書店に行くとマーケティングや企画書などのビジネス書と並んで、美術、音楽の一般教養の必要性を説いたビジネス書籍を見かけることがある。これは単なる専門分野の知識だけではなくて、幅広い芸術的センスも現代のビジネスマンに求められているいう証だ。
アニメ「機動戦士ガンダム」のテーマソングを作曲した三枝成彰氏の著書「知ったかぶり音楽論」に、表現は正確ではないが「外国のアーチストと対等にやり取りするには、音楽の話題ではなく、まず美術など芸術一般の教養が必要」といった主旨のことが書かれていたことを思い出す。つまり、専門知識だけでは、外国人との会話は広く展開していかないということだ。
三枝氏が芸術一般の必要性を指摘した著書「知ったかぶり音楽論」は、実は1993年に出版されたものだ。ここへ来てようやく、三枝氏の考えに世の中が追いついた感があると、私は感じているが、我が国の官僚の皆さんは、旧態依然の考え方(主要五教科の重視)にまだまだ固執しているようだ。
仮に、文化庁や財務省が掲げる目標が達成されたとしたら、恐らく、人気のある博物館、美術館は、パンクするだろうと私は推察する。それでなくても現状は展示物をゆったりと見学できるような優雅な環境にないからだ。人ひとが群がって、一般観覧者は間近で作品を見ることができていない実態を、彼らは分かっているのだろうか。日本の博物館、美術館は芸術作品を鑑賞する環境とは程遠い現状にあることを知っていただきたい。
某テレビドラマの常套句(台詞)ではないが、「事件は現場で起きているんだ」の認識に近いものを感じてしまう。上部に立つ人たちは現場の状況を肌身で感じていない。単なるアンケート調査結果だけを見て、状況を把握したかのような勘違いをしている。土日祭日を含めた開催中に博物館、美術館を、一般人として訪れていただきたいものだ。混雑の実態を体感すれば、今の展覧会場がじっくりと芸術作品を鑑賞する状況にないことが分かるはずだ。上記で述べてきたような財務省、文化庁の不条理な意向は、発想として出てこないと思うのだが・・・
こうした傾向は、今回例として揚げた国立博物館、美術館だけに限られたことではない。実は公立図書館の運営にも及んでいるのだが、その件に関しては別投稿にてお話したいと考えている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
from JDA





