早いものでパリ五輪が終わって、もう二週間以上が経った。
今回の五輪では海外開催の五輪としては、日本が獲得したメダル数は金メダル、総メダル数ともに最多だったとのこと。これまで最多だった2004年アテネ五輪の数を更新したらしい。
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わたしはチョッとへそ曲がりなところがあって、上のようなニュースを聞いても素直に喜べないところがある。それはどこに原因があるのかと考えてみると、思いつくのは「わたし自身がへそ曲がりだからだ」と言うことに結論付いた。
と言った低俗な冗談はさておき、わたしには予てから五輪に関して腑に落ちないことがあった。それは大会期間中のテレビあるいは新聞等マスコミの報道の在り方についてだ。
例えば、納得できない点としていくつか揚げてみよう。
- 日本の選手ばかりが紹介(特にメダル候補の選手中心)され、他の国の有力選手の紹介などが極めて少ない。五輪開催前に各競技種目の世界の有力選手紹介的な番組を数日間かにわたって事前に放送すべきと思う。大会を盛り上げる意味でも。
- ある競技で外国選手が金メダルで日本の選手が2位あるいは3位などのケースで、新聞等の報道は日本選手の写真を大きく紹介するが、金メダルの外国選手の写真がないなど。
酷いケースでは1位の外国選手の名前すら紹介されないケースもある。 - 競技そのものよりも、競技後のインタヴューに割かれる時間が長く、日本の選手が金メダルを取った日などのニュースでは、各テレビ局が何度もそのインタヴューを放送する。
疲れている選手に気の毒に感じた。
メダルを取った選手ならまだしも、そうでない残念だった選手に対して、果たして競技直後のインタヴューは必要なのか。個人的には酷な気がしている。 - 番組進行の司会者の喋りが拙くて、視聴に耐えない番組が多かった。
芸能タレントを使っての番組構成は必要ないと思う。
某国営放送に至っては決定的場面でチャンネル切り替え等あって、緊張感、盛り上がりを削がれた。
全般的に「日本!日本!」といった気運が放送全般に亘って露骨に感じられて、不快だった。
新聞報道でも同じことが言えるが、日本人なら日本の選手を応援するのは当然のことだが、その程度がすぎる。外国選手を応援するという選択肢があって然りと思うが、報道におけるフェアーな精神は皆無だった
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相変わらず日本人選手一辺倒が際立つ報道だった。それほど日本選手を讃えたいのなら、国体をもっとアピールすべきだと思う。
因みに国体は「国民スポーツ大会(国スポ)」に名称を変更するそうだが、どこかの知事さんが開催に消極的との報道もありマイナー化を如何に防げるかが今後の課題。マスコミ業界は「オリンピックの精神」を今一度思い起こし、オリンピックの基盤を支える「国民スポーツ大会(国スポ)」をもっと盛り上げる工夫と努力、そして宣伝アピールをすべきだと思う。
スポンサーがつかないものには目も向けないといった姿勢が垣間見える。
さて、わたしは今回、LIVE放送で競技を観たのは少なかった。これまでの五輪の中でも一番少なかったような気がする。観たのはほとんどが録画放送、ニュースなどでだったので、観戦できた競技も限られたもの(成績が良かった日本人選手の競技)ばかりで、多くを競技を観れなかった。
そのため、競技中のハラハラしたあの緊張感や迫力はリアルタイムほどは伝わらなかった。
時差の問題があるので致し方ないことだが、その分昼間などの時間帯に競技ハイライトを偏りなく放送してほしかった。見落とした競技(特に陸上)もたくさんあったので、いつもなら活躍した外国選手の名前も五輪期間中に覚えたのだが、今回はあまり覚えていない。
競技に対する熱意関心はあっても、なにしろ老人になると日付を跨いでの深夜は年々キツイものがある。観戦か睡眠の狭間で、睡眠が優ってしまったようだ。
若いころはテニスのウィンブルドンなど四大大会で、ボルグ、マッケンロー、レンドルなどのトッププレイヤーの試合をいつも夜更かしして観ていたものだが、やはり歳には勝てない。
あゝ!若かりし遠き時代の事になりにけり。
無理は禁物、いまは命あっての物種だからネ💃💃
ところで、今回の大会で最も素晴らしいと思ったのは、最終日前日と最終日のマラソン中継だった。歴史あるパリ市街の荘厳で美しい光景を見ながらのテレビ観戦はとても感動的だった。
兎角、五輪というと開会式、閉会式が注目されがちだが、今回のパリ五輪は各種競技とあのマラソン中継だけでも充分にわたしたちを感動させてくれたと思う。
世界の全選手、大会関係者の皆さん、お疲れ様でした。
できることなら、あの開会式、閉会式に掛けた費用を明日の食事もままならない世界各地の人たちに回せたらと切に願うばかりだった。
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いまの世界は、建前では慈愛、友愛、博愛といった厚意の意味合いの語彙が様々な場で叫ばれているが、その実体は必ずしもその言葉の意味通りには動いていない。ウクライナとロシア、アラブ諸国の紛争、アフリカ地域の貧困、難民問題などを思えば一目瞭然である。
多くの国で、宗教や考え方の相違による対立や自国の経済情勢の悪化から難民受け入れに消極的になっていったり、かつての植民地政策的な動きも垣間見られ、慈善活動、救援活動などの相互扶助活動は思いのほか進んでいない。
個人に置き換えたら、みんな自分のことで精一杯で、他人のことは気にしていられないというのが実情なのかもしれない。
今回のパリ五輪はあらゆる面で配慮された地球にやさしい大会だったと思う。しかしながら、わが国の自国一辺倒の報道形態を考えると、公平、平等という点で人間に優しかったかどうかわが国に限って言えば疑問が残る。
世界の視点(各国の報道の仕方など)がどうだったのかについては、わたし個人では知る由も無いが、わが国のような偏見に満ちたスタンスでの報道ではなかったと信じたい。
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ここへ来て五輪の理念を今更持ち出すのは気恥ずかしいが、その精神はスポーツを通じて技術を競い合うことであり、相互理解である。決して対立することではないはずだ。
その意味で、今回の我が国の五輪報道は全般的に自国贔屓が目立ち、五輪の精神にそぐわなかったようにわたし個人は感じた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
<追伸>
先日、テレビの放送では満遍なく競技を堪能できなかったので、せめてパリ五輪の総集編雑誌でもと、行きつけの書店へ買いに行った。
さて、表紙と内容をザッと見てご遠慮することにした。
表紙には「永久保存版」と大きく銘打っていたが、これにても日本人選手ばかりの特集かと呆れ果て帰宅した。いっその事、「日本選手大活躍版」とでもすれば良かったのにと、帰路の途中思った次第だ。
from JDA