2025年8月14日木曜日

デジタルの世界のバージョンアップに思う ~Windows10のサポート終了を機に~

Taras YasinskiによるPixabayからの画像

 わたしたちが日ごろ何の疑いもなく行っている、

バージョンアップとかアップグレードて、いったい何だろう。

制度、習慣、しきたり、決まり、義務、警告、進歩など、

思いつく単語を挙げてみるが、どれも当てはまるようで不充分でもあるように思う。

どうやら、日本人得意の和製英語のようだが、IT用語としては充分通用しているようです。

そして、わたしたちはこれまで、上記に挙げた意味合いを漠然と信じ、

パソコンに関連するバージョンアップを、

反射的に躊躇うことなく行ってきた経過があります。

今回はそんなバージョンアップにまつわるお話です。


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先ずは、パソコンの歴史をチョッと振り返ってみましょう。
私たちの日常生活に、家電とは一味違うコンピューターというマシンが入り込んできてから、どれほどの年月が経っただろうか。
思い起こせば1995年、この年から私たちの生活は激変したと言っても過言ではないでしょう。

それまでコンピューターと言えば、大学の研究室や企業内の特定の部署等で、細々とマニアックに利用されていたものでした。それが1995年にマイクロソフトという、それまで耳にしたことがない米国企業から登場した、Windowsという未知なるものによって、世界は大きく変わったのです。

かつては、まるまる一室を必要としたコンピューターは、PC(パーソナル・コンピューター)という名前で、次第に小型化されていきました。

その名もWindows95という、窓枠が左から右に流れるシンプルなデザインのそのパッケージは、この時信じられないほど売れたのです。発売日の1995年11月23日、秋葉原の街はそのパッケージを求める人々で溢れかえったと言います。いま思えば、嘘のようなお話ですが、当時はそんな時代だったのです。

そして、何の変哲もないデザインのあの窓枠が、それ以降の世界を大きく変えようとは、
あの当時誰が想像できたでしょうか。
そして、その後の快進撃は私がここで説明するまでもなく、圧倒的なスピードで、文字通り世界のWindows(窓)となっていったのです。

「Windowsって何?」これが1995年当時のお茶の間の反応だったと思います。
あの当時はOS(基本ソフト)の概念も役割も何もわからないまま、そのWindows(OS)が搭載された機械を無我夢中で買い求め、我武者羅にマニュアル本を読み勉強したのです。
「早く操作を覚えたい」それはみんな同じ思いだったと思います。

そして、このWindowsというOSを搭載したパソコンは、使い方次第でこれまでの何よりも、私たちの日常を一変させる可能性を秘めていることを知るのです。
まさに現代の「アラジンの魔法のランプ」と言えるのかもしれません。




さて、Windows95というOSはそれまでのDOS系などのOSと違って、操作画面であるUI(ユーザーインターフェイス)がGUIというグラフィックになっていました。そのため私のような素人でも直感的に操作ができるのが特徴で、このグラフィック化がそれまでのOSとは異なり人々に受け入れられる要因だったことは間違いないでしょう。
まず、この点がそれまでのコンピューターと大きく異なり、画期的だったのです。

ちなみに、今日のスマホの普及も、このわかりやすいグラフィカルな画面が大きく影響したのだと思います。Windowsの操作性と共通性があったのもプラスに働いたのだと思います。


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ところで、Windowsを搭載したPCの普及以降、わたしたちの社会は否が応でもデジタル社会へと突き進むことになります。仕事、レジャー、日常生活などに於いても、デジタル抜きでは成り立たない社会になってしまったのです。企業内には多くのPCが導入され、ペーパーレスが盛んに叫ばれたのもこの時代からだったと思います。

そしてこのころから、わたしたち人類は魔法にかけられたように、PCとデジタル関連商品(パソコン周辺機器やソフトウェア)を次々に買い続けることになるのです。
わたしもWindowsやMacのパソコンや周辺機器を買い漁り、デジタル世界という迷宮に入り込んでしまった人間のひとりです。(こうした自覚は、後々に気付くことになるのですが・・・)

いまの時代なら、パソコンもソフトウェアも一度購入したら永久に使えるとはだれも思わないでしょうが、何も知らなかった当時は、ズーッと使えると思っていた時期がありました。

しかしながら、どんな製品もいつかは壊れる訳で、そのことはすべての物に言えることで今では常識ですが、お恥ずかしい話ですが当時の私は、パソコンは最強で永久に使えると信じていた時期がありました(笑)。

ところが、PCをはじめとしたデジタル製品の場合は、他の製品よりも寿命が短いということに後々気付くことになります。
とは言っても、デジタル製品が壊れやすいという意味ではありません。
つまり、パソコン本体を含めその関連製品(主にソフトウェアなど)は、壊れていなくても一定期間が過ぎるとアップグレードしたり買い替えたりしなければならないという意味での「寿命が短い」ということです。いまでは常識といえるこの事実も、当時のわたしたちには必要以上にお金が掛かるという点で、理解しがたい内容だったのです。
パソコンは一度買ったらズーッと使えるものだと思っていたわたしは、正直なところショックでした。


Mircea IancuによるPixabayからの画像


こうして、パソコンは「金食い虫」だということにわたしたちは気付かされます。
この点は、みなさんも感じられたと思うのですが・・・


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はじめの頃は、パソコンに付随するソフトウェアもハードウェアも、更なる機能性アップをキャッチフレーズにバージョンアップ(つまり買い替えなど)が推奨されていました。

そう言えば、HDDの増設やメモリーの拡張は、当時はとても高価だったのですが、パソコン好きの人たちは競い合ってアップグレードしていました。
増設や拡張を施すことで、動作が速くなり使い易く便利になるのだったらと、余計な出費もこの段階までは納得のいく範囲でした。(でも、メモリーはとても高額でした)


ところが、徐々にウィルス対策やセキュリティーという安全性を謳い文句に、最新のソフトやハードウェアへのバージョンアップが推奨されるようになります。このことは、ある意味わたしたちにとっては不本意な内容でした。本来、ウェブの世界が健全であれば、こうしたウィルス対策やセキュリティーにお金をかけ必要はなかった訳ですから。つまり、デジタル産業はネットの危険性を煽り、必要以上にバージョンアップや買い替えを迫るようになっていったというのが、当時のわたしの率直な印象でした。

考えてみれば、どんな時代、どんな社会にも極々僅かでしょうが悪意ある人や愉快犯的な行動をとる人たちはいる訳で、わたしたちはこうした現実を受け入れなければならないのでしょうが、その都度、わたしたちユーザーがシワ寄せを被るという点で、納得できない部分は常にありました。


Habash DesignによるPixabayからの画像


やがて、WindowsというOS、ワードやエクセルなどのアプリケーションソフト、そしてセキュリティー系のソフトなどは、機能性アップと並行してウイルス対策やハッキング、フィッシング詐欺などのネット系犯罪を想定したセキュリティー保護対策に重点が置かれるようになっていきます。

更に、バージョンアップやアップグレードという「更新」作業は、定期的に行うことが求められ、半ばイベント化されていきます。
こうした更新のイベント化は、わたしたち利用者にとって、「快適に使う、安全に使う」という意味では必須とされる訳ですが、一方でメーカー側にとっては最大のセールスチャンスであり、この機会に「新しいパソコンを、新しいソフトを」という購入動機につなげる絶好のタイミングでもあったのです。

かつてWindows95の登場以降、わたしがこうしたソフトウェア、ハードウェアに費やした金額はどれくらいだったのだろうと思うことがあります。でも、そんな奇想天外でバカげたことを考えても、現実には総額など出せる訳がありません(ある意味恐ろしくて)。

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さて、これまで述べてきた費用を伴うバージョンアップ等は、ある意味、仕方がない内容として納得せざるを得ないのでしょうが、最近のWindows10の今年10月14日のサポート終了に関係する、マイクロソフトのコメントに関しては、チョッと懐疑的にならざるを得ませんでした。

今回のWindows10のサポート終了に関する詳しい内容については、マイクロソフトのサイトやその関連サイトをご覧いただくとして、ここではWindows10をWindows11にアップグレードする際のパソコンのスペック要件のハードルの高さについて、私のケースを例に簡単に触れておきたいと思います。

*Windows10のサポート終了に関するマイクロソフトのサイト

結論から申し上げれば、今回のサポート終了で、私が使用しているWindows10のデスクトップPC1台とノートPC2台が、スペック要件をクリアできませんでした。
とは言うものの、CPUやメモリーなど主要なハードウェアはクリアできているのに、主にセキュリティー関連項目でシステム要件を満たしていなかったようなのです。


BrunoによるPixabayからの画像



マイクロソフトの公式説明を読んでも詳細を充分理解できず、具体的にどうすればよいのかも皆目わからない状況でした。記載された内容としては「セキュアブート」という項目と、暗号化に関係するらしい「TRM2.0」という2項目で、わたしのPCたちは躓いたらしいのですが、その場合の対応策は触れられていないのです。

いろいろと調べてみると、この2項目はWindows11から追加された機能のようで、初期のWindows10のPCには搭載されていないため、Windows10PCのほとんどがクリアできないことが判ったのです。


ところで、パソコンのスペック要件のチェックには、「PC正常性チェッカー(注2)」というアプリを使って自分のパソコンを診断します。しかし、上記の「Windows11から追加された要件・・・」の内容を知ると、わざわざ「PC正常性チェッカー」をダウンロードしてチェックしなくてもWindows10のPCはほぼクリアできないことが明らかで、わたしの行為は俗に言う徒労だった訳です。

私の場合、上記のような2項目でアウトの診断結果がでた訳ですが、診断後の解説を読んでも、「エッ!そうなの?」程度で、前述したように詳しい内容は理解できず、心情的にもあまり納得できるものではなかったのです。
ですからこの時は、以前テレビでオンエアされていたCM「もっと早く言ってよ!」の心境そのものでした。


パソコン本体は正常に動作するのに、今年の10月以降は使えない(セキュリティー上で)というのは、前段でも触れたように非常に勿体ないし、理不尽に感じます。
ハードウェアでアウトならまだ納得がいきますが、「セキュアブート」と「TRM2.0」が無効と一方的に画面表示されても、素直に引き下がれない思いです。

昨今は、「資源を大切に!」とか「省エネ、省エネ」と地球規模(?)で叫ばれているのに、「そうしたメッセージはどこへ行ってしまったのか?」となかば呆れます。
本来、こうした内容はSDGsの観点からも企業が率先して先導すべきものと信じていましたが、前述の「資源を大切に!」といったキャッチコピーなんて、ほとんどの企業が単なるイメージ戦略に使っているだけという印象が、こうした対応から垣間見えた気がします。


vishnu vijayanによるPixabayからの画像


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インターネットが使えて当り前のこの時代に、セキュリティーが無防備状態でそれを使い続けることは甚だ危険極まりないことです。私たちはそんな非常識で無謀なことは当然できない訳で、そんなわたしたちの弱点を完全に突かれた印象です。

振り返ってみれば、2015年7月にWindows10が登場したとき、マイクロソフトはWindows10が最終バージョンで、「これ以降新バージョンは出ない」といった内容のコメントを出したと記憶していますが、その発言も後に撤回された経緯があります。
このコメントを雑誌等で読んだとき、安易な私は「マイクロソフトもこれまでに充分稼いできたので、Windowsでの収益は以後見込まず、新たなコンテンツやサービスで収益を得て行くように方針転換したのか」と勝手に早合点し、「流石!マイクロソフト」なんて心の中で絶賛していたのですが、その期待も呆気なく失望に変わったことをよく覚えています。

そんな過去の経緯もあって、今回のWindows10からWindows11へのアップグレードの件では、マイクロソフトに対しては再度ガッカリしました。マイクロソフトの製品を長いこと愛用してきたユーザーのひとりとして、些か寂しい思いがします。
繰り返しますが、ハードウェアがあまりに旧型で、Windows11へアップグレードできないというのであれば、自然と納得がいくのですが、Windows11からセキュリティ強化を目的に組み込まれた、暗号化やセキュリティー系関連のチェックでアップグレードが拒否されたと知ると、心情的にはあまりに不合理で、一方的なやり方だと思えてなりません。


Joshua WoronieckiによるPixabayからの画像



最近の新聞にNVIDIA(エヌビディア)の時価総額が4兆ドルを超え、マイクロソフトを上回ったとの記事がありましたが、こんな状況もマイクロソフトの判断に影響したのでしょうか。
昨今のIT業界の競争の激しさは充分理解できるところですが、それもユーザーあってのことで、企業はユーザーを大切にすることが基本だと思います。特にヘビーユーザーはこれまでにハード、ソフトを問わず多くの製品を購入しサービスを利用してきた訳で、そのことはこれからも変わらないはずです。


かつて、インターネットの世界において、インターネット・エクスプローラー(Internet Explorer 、以下IEという)というブラウザが圧倒的なシェアを占めていた時代がありました。そう、IEはご存じマイクロソフトが開発したブラウザで、Windows OSに標準搭載されていたため、半ば独占状態だった訳ですが、その後諸々の事情でその牙城は崩れていきます。その主な原因としては①ネットの世界がウイルスやトロイの木馬などのマルウェアやハッキングなど悪意ある行為によってネットの荒廃が急速に進んだこと②その対応の遅れ③IEが古い技術をベースにしていたこと、と言われています。つまりセキュリティ脅威に対する脆弱性が最大の内因だったと言えます。そしてもう一つ大きな要因(これが外因)がライバルGoogleのWebブラウザであるGoogle Chrome(*注1)の台頭だったのです。

注1:現在のGoogle Chromeが独禁法云々で問題になっているのは、かつてのIEの場合を彷彿させますが、「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。

何故わたしが、唐突にこんな過去のエピソードをお話したかと言えば、こうしたITの歴史における栄枯盛衰にはユーザーの動向が大きく関係しているということ、つまり顧客離れを防ぐには「顧客を大切に」という教訓が含まれているからです。


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繰り返せば1995年、この年から私たちの生活は激変したのです。
気が付けば、その間に30年という年月が流れました。これを「もう30年」と感じるか「まだ30年」と捉えるかは、人それぞれでしょう。
いずれにしても確かなことは、デジタルの世界は留まることを知らず、常に前進あるのみということです。

個人的には、この30年間、多くのお金をデジタル関連に費やしてきました。
しかしながら、それと同じくらい、或いはそれ以上にデジタルの恩恵にあずかってきたのかも知れません。ですから、それに対しては感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、わたしたちは一旦デジタルという迷宮に足を踏み入れた以上、どんなに理不尽に感じても、バージョンアップあるいはアップグレードという代償(?)を、払い続けなければならないということなのですネ。(笑)


今回もロングバージョンになってしまいました。🙏
最後までお読みいただきありがとうございました。

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